2020年02月26日

【薙刀式】脳内発声と計算の話

tkenさんのツイートで、
数を数えるのに、脳内発声ありの人となしの人がいる、
というのを思い出した。
(物理学者ファインマンの話が有名)


脳内発声ありで数を数えるかどうかは、
数を数えて、と依頼して、
数えている途中にランダムな数字を聞かせても、
混乱しないかでチェック出来る。

「ひとつ、ふたつ、…」
「いまなんどきだい?」
「むっつだね。ななつ、やっつ…」
という落語の場合、脳内発声ありでのカウントだね。
(江戸時代は鐘をいくつ打つかが時計だったので、
時刻を「むっつ」などと表現した)

算盤をやってた人は、
頭の中に算盤のイメージがあり、
珠をはじいて数を数えるなどという。
脳内発声はないわけだ。

日本人は、
風呂に入って10数える習慣が子供の頃に植え付けられるので、
脳内発声ありで数えがちかも知れない。
(ちなみに関西地方だけで伝承される、
「12345678910」の歌がある。
身近に関西人がいたら、
「風呂に入って1から10まで数えてみて」と聞くとやってくれる)

ちなみに僕はイメージでカウントするので、脳内発声はない。


計算はどうか?

僕は足し算引き算のときは脳内発声なしで、
掛け算割り算は脳内発声ありになる。

足し算引き算は、足して10になる組み合わせが、
頭の中でイメージされる。
10になると消えるテトリスみたいな感じかな。
慣れるとテトリスのイメージなしでも可能だ。

僕が「触覚」でものを考える、
というのは、イメージなしでもいける、
ということを言おうとしている。
「意味の塊」は、触覚としか言いようがない。
7には7の、3には3の、手触りがあるよね。
(僕は文字に対する共感覚がある。
この共感覚は、脳内発声の代わりに発達した能力かもしれない)


掛け算割り算は、九九の脳内発声が大きくて、
小さい桁なら脳内発声なしでも行けるが、
その程度だ。

暗算だと傾向は強く、
筆算だとだいぶ脳内発声は小さくなる。
視覚の助けを借りていると考えられる。

数学は脳内発声はほとんどない。
(数学の脱落者が多いのは、
脳内発声ありでやってきた算数が、
脳内発声なしの数学への移行に失敗するからでは?仮説)


計算と言語は違うが、
どちらも左脳、前頭野の担当なので、
機能は似ているかも知れない。

しかし日本語は特殊な言語で、
右脳も使うことが知られている。

これが、脳内の思考様式が、
人によって異なる原因かもしれない。
(もっとも、外国でこのようなことが議論されているかも知れないが、
どうやって検索していいかもわからないので…)


思考や計算のやり方が異なることが、
なんとなくわかってきている。

これに、異なるスタイルのタイピングや書き方を強制することは、
やはり暴力だと思うのだ。

もちろん人間には適応力があるから、
適応してしまう人もいる。
しかしそれをもって、「全員可能」と押し付けるのはどうかね。

脳内発声ありなし、思考様式のスタイル。
もう少し議論を深めたい。
posted by おおおかとしひこ at 10:05| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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