勢いとはなんだろうか。
「一度も落ち着かないこと」だと思う。
どういうことだろう。
最初の勢いを作ることは比較的出来ると思う。
ひとつの危機があればいいということになる。
単純にいうと、「死にそう」があればいい。
殺人鬼に追われても、
明日までに借金を返さないとアパートから追い出される、
でもなんでもいい。
とにかく危機に陥れば、
勢いが出る。
死にそうだからアドレナリンが出て、
なんとかしないといけない、
非常事態になればいい。
とにかくその状況になれば、
観客も集中してみてくれるだろう。
少しのミスが命取りになるが、
それを間違わず、
精一杯の状況でやっていかないといけない、
そういうアラームが鳴っている状況は、
映画というリアルタイムの物語にとても合うと思う。
漫画や小説では、途中で自由に休めるからね。
そうではなく、強制的にスクリーンから流れて、
一時停止もあとで見るも出来ない、映画というジャンルは、
危機を描くのに適したメディアだと思う。
さて。このあとが問題だ。
人間は危機に慣れる。
「夏休みの宿題が終わっていない」状況があっても、
慣れてしまったことを思い出せば分る。
同じ危機では、慣れてしまう。
危機は、より強くならなければならない。
ということは、必然的に、
「危機があり、
次の危機はそれ以上になり、
その次の危機はそれ以上になり……」
というループが起こらなくてはならない。
ジャンプ漫画のインフレの理由と同じだ。
あとは、
最初の危機をどれくらいに設定するか、
次の危機の階段をどれくらいの高さに設定するか、
次の危機までの時間をどれくらいに設定するか、
という、
階段のデザインをすればいいということになる。
間が空きすぎると退屈が襲ってくるし、
すぐに次の危機が来すぎると、準備できていないこともあるだろう。
(度肝を抜くために、準備できていないときに危機をもってくるテクニックもある)
危機の度合いが小さいならば、
そんなに危機感がないだろうし、
大きすぎるなら絶望のほうが大きい。
理想は、
予想していないときに、
突然絶望的なものを突きつけられ、
しかもそれが見事に解決し、
ちょっとほっとしたら、
予想のつかない時に、
突然これまで以上の絶望を突きつけられ……
の繰り返しだろう。
それが難しいことは、やってみればすぐに分る。
危機の階段、解決の階段を創作することは、
かなり難しいことだからだ。
だから、これをコントロールしきれれば、
すごい面白いお話になること請け合いだ。
すぐに考えられる優しい方法は、
最初の危機のハードルを下げることで、
そうすれば楽に階段を設計できるのではないか、
と思うことだろう。
しかし、意外とこれはうまくいかない。
最初のハードルがぬるくても許してくれるが、
次のハードルもぬるかったら、
これはぬるい話である、と認定されてしまう。
ぬるいのが許されるのは、一回までだ。
予想もつかない危機を、
予想もつかない冴えたやり方で切り抜けるのが、
面白い話というものである。
ということは、最初から、危機は全開でなければならない、
ということになる。
「最初っからクライマックスだぜ!」
にならない限り、
人はそれを見てアドレナリンが上がらないということだ。
で、そのアドレナリンが収まる前に、
次の種類のアドレナリンを用意し、
花火は次々に繋がっていかなければならない。
まことに、面白いストーリーというのは難しい。
面白いストーリーは、時間を忘れさせる。
それは、ずっとアドレナリンが出放しだったということだ。
アドレナリンが出ていると、時間感覚が疎くなるからね。
(そうしないと死ぬからだろう。
緊急事態がずっと続く感じだ)
だから、そういった話を見たあとは、
どっと疲れる。
でもその疲労は、満足度があればあるほど、
最高の体験をしたというものになっているはずだ。
良いストーリーはセックスに似ているというのは、
このアドレナリンから見た見方であると思う。
危機とはとにかく、人間が裸で放り出されることになることだと、
僕は考えている。
準備万端、フル装備、心の準備も覚悟が出来ている、
そういう状態で危機など訪れない。
だから面白いのだ。
とにかく安心させないように、
危機また危機になるように、
危機の順番を考えよう。
なるべくムチャぶりになるように、
なるべく爽快にそれを解決するように。
2020年02月27日
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