めんめんつさんが長いブログを書いてることは最近知ったのだが、
タイピングと考えることを定量モデル化していて、
たいへん興味深い。
https://menmentsu.hateblo.jp/entry/2020/02/25/210655
僕は薙刀式で、1200〜1500字/10分、
手書きで900程度だ。
(以下単位系はこれで統一)
しかも僕は「書きながらでないと考えられない」
というタイプかも知れない。
書くことが文を連れてきて、
その文を見ることで、
次の言葉が出てくる、
互いにフィードバックする影響があるパターン。
これは長らく手書きでアイデアノートを書いてきたり、
手書き原稿を書いてきた経験によるものかも知れないし、
本来日本語はそうした言語かも知れない。
(書いた文を見ない口述筆記は、
論旨がどんどんよれていくことが経験的にわかっている)
書くことと思考の関係をモデル化するとき、
「ある考えの集合Pがあり、
その言語変換で得られたQが成果物であり、
その間が書くという生産行為である」
なんて感じになるだろうが、
これは簡易的なモデルに過ぎないと思うわけだ。
Pは全部できていない状態で書き始めるからだ。
何%出来た状態で書き始めるかは、
人や話題に関してケースバイケースだろう。
見切り発車をしたら結論が見えなくなりぽしゃることも、
まれによくある。
つまり、Pは100ある状態からスタートしない。
これがさらにモデル化をややこしくすると思われる。
長い文章を書いたことのある人ならば、
書き始めた当初は思いもよらなかったことを、
書けることがあることを体験している。
神様が来たとか、自動書記状態になったとか、
そういう言い方をすることがある。
それは明らかに、
文章へ吐き出したことで、
脳の中に考えるスペースができて、
より無意識に思っているところまで、
手が届いた、
みたいなことだと思うのだ。
物語作家は、
物語後半になると、キャラが勝手に動き出す経験を日常的にしている。
当初立てたテーマよりも、ずっと深い結論にいけることは、
まれによくある。
論文はどうだろう。
数式的、統計的なことでは新しい結論にはいかないが、
文章表現は冴えることはあるかもだ。
ラブレターにおいてそれは顕著な気がする。
後半に行くほど、高まってくるのだろう。
僕が理想とする筆記用具は、
これがうまくいく道具だ。
Pを効率的にQに変換するのは当然で、
いや、それよりも、Pが不完全な状態だとしても、
Qに一部変換することで、
脳がうまく活性化され、
残りのPを無意識から引きずりだし、
次々に予想もしなかったQを書き留められるような、
そういう道具が理想だ。
神がかった演奏をするミュージシャンは、
しばしばその体験をしていると聞く。
(それがスランプで得られないから、クスリに手を出すんだよね)
幸い我々は月に数回神がかりの瞬間があれば良いので、
そこまで頻度を求めない。
しかし神がかりほどでないにせよ、
途中のQがPの残りを連れてくる経験は、
この文章を書いているいまでもやっていること。
ということで、
僕はめんめんつさんのBのタイプで、
書きながら考えるタイプだ。
勿論書き始める前に考えが色々ある。
仮にPが50あるとして、
Q50に至りながら、Pを70まで考え、
Qを70まで書いたときには、
P100まで見えている、
みたいにモデル化できるだろうか。
初期の状態で着地先やゴールが決まっている
(だから書き始めるのだが)ものの、
書いているうちに思考が深くなり、
さらに面白い結論にたどり着くことはよくある。
書くことのすべては、
最初に全部あるわけではない感じだ。
ということで、
今のところの理想の入力法は、
ペン先の点しか気配りをする必要がなく、
漢字変換も直接入力できる、
思考と文を見ることに全振りできる手書きである。
タイピングは10本の指の制御に気を使う。
今どこにどの指がいるのか、左手はよく見失う。
(中指薬指の分離ができていないから、
どっちがどっちか自覚できないし、間違う)
打ったことのない言葉なら、
思考を停止してタイピングの指制御を
しないといけない。
ついでに漢字変換も思考リソースの無駄だ。
ミスタイプの修正も無駄だ。
僕はどこに何文字使っているかなどは意識してなくて、
概念と概念の関係を記しているため、
バックスペース何回かとか、戻るカーソル何回かを知ることが、
咄嗟にできない。
なので、思考を完全に中断して、
視覚情報からそれを見つけることが必要になる。
手書きならぐにゃぐにゃってやって、
そのまま続ければいいが、
タイピングの場合はそうはいかないからねえ。
(僕の手書きはあとで清書する前提の、
最速で言葉を書きつけるための手段)
そういう意味で、
人差し指中指使用率80%の薙刀式は、
思考リソースへなるべく触れるので、
今のところ僕にとって最高のタイピング方法だ。
(指の使いでいうとフリックのほうがいいが、
フリックは量がむずかしい。
とはいえ、この文章はフリックで書いてます)
僕の思考は、
すでにできた文章がところてんのように出てくる訳ではない。
このような人にとっては、逐次打鍵式で、
効率の良い高速性能の配列がいいかもしれない。
もやもやしていたものを、
手でこねながら形にしていくやり方だ。
そしてできた部分が次の形にも影響を与える。
「そこは書いたから、次はここをこう書こう」
なんて、手が判断することが多い。
だから筆記用具は僕の思考にとても影響するし、
デフォルトの配列は僕の思考の邪魔にしかならない。
色んな思考形式、文章を書くやり方があると思う。
自分のを開陳して、彼我の違いを知り、
入力方法との差分を見ることは、
とても大事だと思う。
ということで丁寧に書いてみた。
2020年02月27日
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