作者にとってもっとも有用な答えは、
「一回完結させるため」だ。
完結してない話を書き始めて、
完結させることは非常に難しい。
書き慣れていなければ、その難易度は無限大に跳ね上がる。
物語を完結させることとは、
これまでのことがなんら矛盾無理がなく、
きれいにおさまり、
これまでのことがただの空騒ぎではなく、
ある種の意味があったことで終わることだ。
その意味をテーマといい、
同種のテーマの中で、
歴史的にもっとも出来がいいものである必要がある。
そうでなければ、
「○○のほうがいいじゃん」と言われておしまいだからだ。
似たようなモチーフ、似たようなネタを使った、
古今東西の物語と比べて、
あなたの物語はどのように違い、
どのようなオリジナリティがあるかは、
完結して初めて意味が確定する。
だから、
それを予定にいれないまま書き始めたら、
100%書き終えられないと思う。
何億分の一かの確率で、
書き終えることができ、かつ名作である可能性はあるかもしれないが、
あなたはそれを毎回する技能を身につける必要があるので、
今偶然を引くガチャをするべきではない。
どんなに面白い設定、
キャラクター、シチュエーションを考えても、
それは物語ではない。
物語の一部の要素に過ぎない。
全体があり、
落ちで意味が確定しなければ、
それは物語でなく、
物語になれなかったものに過ぎない。
「落ちを決めずに走りたい。
そのほうがドキドキするから」
と時々言うバカがいるが、
それでめちゃくちゃな終わり方をした「ファイアパンチ」
を最後まできちんと読んでからいうべきだ。
あんなことがしたいのなら、
あなたは物語作家ではなく精神を病んでいる入院手前の患者だ。
ドキドキするのは作者ではなく、
観客だ。
全てが作者の掌の上なのはわかっていても、
観客はドキドキしにくる。
あなたに抱かれにくる。
あなたは抱かれてもいいと思ってきた人に対して、
落ちが決まってない不安を抱かせるのか。
落ちまで一度見えているからこそ、
快感と恐怖と涙と笑いのジェットコースターに乗せるのだ。
プロットですら完結させられない人は、
意味が確定することで、
「大したことない」と言われたくない人だ。
「なんや普段から偉そうなこと言うといて、
いざ書いてみたらこんなもんけ」
と見積もられたくないから、
最後まで書けないのだ。
まず最後までプロットを書け。
それが面白くないなら、
それをもっと面白くするか、
別の面白いプロットを書け。
それも面白くないなら、
別の面白いプロットを書け。
そうして、100本のプロットを書け。
1本も面白そうじゃなかったら、
才能がないから辞めなさい。
2、3本面白くなりそうなら、あなたには才能がある。
それをきちんと作品として完成させなさい。
殆どが面白くなるぞと思うなら、
あなたには見る目がない。
もっと名作をたくさんみて、
自分にできない素晴らしい領域があることを知ることだ。
それと比べられる覚悟をしなさい。
10本くらい面白くなりそうなら、
一番いけそうなやつのプロットを、
1600字くらいで書いてみなさい。
どういう感情があり、どういう起伏があるかを把握しよう。
きちんとした文字数で書いたら、つまらない話は結構ばれる。
それでもまだ面白そうなら、
それは命を懸けてやる価値があるので、
コツコツと命を削って書きなさい。
何故プロットを書くのか。
完結させて、全体の意味や価値を見るためである。
結論も見えていないものには、
ベットするべきではないと思う。
(いや、自分はプロットを書かなくても名作書けるので、
という人はこんな所を読んでないでさっさと書いて、
日本のクソ映画とクソドラマをよくしてくれ)
2020年02月28日
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