事件の顛末を、可視化するためだ。
ストーリーとは、
事件の発生から解決までを描く。
それが最も背骨の深い部分である。
主人公の成長や、人間関係のアレコレはあるものの、
それは事件が発生しなければ起こらなかったことであり、
事件が解決しなければ収束しなかったことだろう。
すべては事件と解決の糸が、
時間軸の真ん中にいる、
センター焦点である。
その事件はどのように起きたのか。
どういう事件なのか。
何が困ったことで、
どういう危機があるのか。
それらはどうやって解決されるのかが結末で、
そこに至るまでどういう経緯を辿るのかが中盤だ。
発生、経緯、解決の瞬間。
それが物語の背骨である。
これらが、
矛盾なく、無理なく、妥当に解決されているかをチェックするために、
プロットで俯瞰するのである。
たとえば、
「巨大な隕石が地球に迫り、人類が滅亡するかも」
という事件が起こるとしよう。
アルマゲドンその他をイメージすれば良い。
もしこれが本当に起きたら、
一体どうやって解決するのだろう?
その道筋が、プロットなのだ。
核ミサイルを何発も放ち、小片に崩壊させるのか。
だとするとその巨大なミサイルはどこから撃つのか。
大気圏を突破できるミサイルはどうやって作り、
どうやって目標に当てるのだろう。
巨大隕石を破壊するのに、
もしくは爆風で軌道変更するのに必要な核ミサイルは、
何発いるのか、どうやって調達するのか。
仮に最初にこれが模索され、
現在の核保有量では無理だと計算されたとしよう。
プランBだ。
宇宙船で接近して、ブースターを取り付ける作戦だ。
しかし高速に回転している隕石に着陸はできない。
巨大なネットを使い、ブースターで減速する作戦が模索される。
それが成功しても、
隕石に着陸してかつブースターを設置、
タイミングよく点火するミッションがある。
これの工程を更に細かく割り、
工期(納期)とコストを設定しなければならない。
盛り上げるためには、
「これに着陸できる腕を持つパイロットは一人しかいない」とか、
「ブースター取り付け任務は、地球に帰還を保証できない」とか、
「どさくさに紛れた軍事スパイがいる」とか、
「離婚して別居していたが、これを期に復活」とかの、
色んな要素が入ってくることだろう。
これらをうまく捌き、
無理なく矛盾なく見事に成功する計画として、
プロットを書くべきなのだ。
プロットとは計画の意味だが、
何にとっての計画だろう。
作者にとっての執筆計画ではない。
「その事件が、解決するまでの段取り」
という意味での「計画」だと考えると良い。
勿論これは神の計画なので、
途中でアクシデントが起こって一見不可能になってしまうことや、
そこからどう立ち直り、見事に復旧して、
当初の計画以上のパフォーマンスになるなどの「展開」も、
計画に織り込み済みにしておくべきだ。
この「発生から解決までの顛末」が面白くなるように、
設定は微調整するべきだ。
巨大隕石の規模や、発見された時期は、
こちら側でコントロールできる設定だ。
衝突半年前に発見されたのか、
衝突一週間前に発見されたのか、
衝突24時間前に発見されたのかで、
ストーリーの展開は全く変わる。
24時間前に発見されたとしたら、
むしろ他国の隠蔽兵器の可能性があるから、
ドラマは外交中心になるかも知れない。
設定を少しいじるだけで、
内容は左右される。
解決の優先順位や方法から変わる場合もあるだろう。
アニメなどで設定を細かく決めるのは、
複数のライターで解決計画を考えるための共有資料に過ぎない。
設定厨を喜ばせるためではない。
また、この背骨の計画(メインプロット)に、
人間ドラマが関係してくることがあり、
これらをサブプロットとして上手くどう絡めればいいか、
という計画の為にも、プロットは使われる。
これらを俯瞰して、
いる部分やいらない部分を判断したり、
設定や展開を変更して確認する為に、
プロットを書くのである。
だからプロットが無味乾燥になるのは当たり前だ。
顛末だけ書かれたレポートのようなものだからだ。
それが本当に面白いかはまだ誰にもわからない。
面白さは、キャラクターやシチュエーションやセリフでも、
全然変わってくるからである。
だが事件の顛末に矛盾や無理があると、
キャラクターやシチュエーションを作りはじめてからだと、
修正が非常に難しくなる。
それらの発生の前にプロットを確定しておくと、
キャラクターやシチュエーションでいくらでも遊べる。
キャラクターやシチュエーションを横糸、
プロットを縦糸として考えると、
その役割を分離できるかもしれない。
しかし実戦ではどちらも湧いて出てくるので、
プロットと言われるものには、
両方が書かれて混じることがよくある。
これらを作者が分離して捉えていれば問題ないが、
大抵は分離して考えていないところが厄介だ。
自分の書いたところで、
背骨だけの事件顛末を抜き出してみよう。
それが矛盾なく無理なく、面白くない限り、
上に何を足しても砂上の楼閣というものだ。
なぜプロットを書くのか。
土台に漏れや穴がないか、全体と部分を確認する為である。
2020年02月28日
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