2020年03月02日

仕草

セリフや派手なアクションよりも、
余程言外の意味を語る、仕草。

少し深く考えてみよう。


以前仕事をした脚本家で、
毎回毎回「膝の上で拳を震わせる。」
と書いている人がいて、呆れたことがある。

単純にパターン化してることに気付かないのかねえ、
陳腐で下手くそだなあ、
なんて思っていたのだが、
ひょっとして、
「表面上は何事もないふりをしているが、
実は怒っている時の決まりごと」
としてそれを選択している可能性があるな、
ということに気づき、
恐怖を感じた。

それは漫符ではないか。
つまり、記号化された表現だ。


芝居における記号化は意味がない。
我々はアナログの世界に住み、
アナログの文脈の中にいる。
それをデジタル化する記号化は、悪だ。
情報量を減らして痩せさせる。


「怒りを噛み殺す」
表現を考えるときに、
定番のこれつこときゃええやろ、と考えたり、
それしか使ったことないのは、クリエイターとして三流である。

いくらでも考えられる。


その時は笑顔だが、あとのシーンで怒鳴り散らす

机の下で中指を立てる

自分の中で決めている「噛み殺す」動作がある。
たとえば十字を切る、と前のシーンでしておいて十字を切りまくる。
十字を切るのが不自然なら、PCのシフトキーを押す、
という動作にたとえばしておく。
Windowsではシフトを素早く5回連打すると、
登録しますかなんて聞いてくるので、
それが立ち上がり、「いいえ」を選択し、またシフト5連打する、
なんて表現を作ることも可能だ。
winキーでもいいよね。

怒りを噛み殺すと勃起するという癖があり、
徐々に股間が硬くなり誤解を受ける

飲み終えた飲み物の、残ってる氷を噛み砕いてしまう


最初の二つは、肉体一つでできる例、
あとの三つは、小道具を使った例だ。

できる役者ほど、周りに使える小道具があるかを探す。
電話する芝居をするときに、
ペンやメモ用紙や受話器のコードを使うと、
心理表現がやりやすいよね。
(スマホはほんとに芝居が絡みづらい、
不自由な小道具だ)

また、そのシーンで示す必要もない。
前や後でそうだと分かってもよいのだ。
精々噛み殺しているシーンでは不自然な間があれば十分。
それが少しだけ違和感があれば、
あとはその人の顔のアップだけでわかる。


つまり、
「膝の上で拳を震わせる」は、
三重の意味で劣悪である。

ひとつには、陳腐なルーチン記号だと気付いていないこと。
ひとつには、小道具や時間の前後を利用して、
同時に走る文脈を用意しなかったこと。
ひとつには、モンタージュを使えないこと。


このことを彼に説明するのはレベルが高過ぎると考えたので、
僕はただ膝の上で拳を震わせた。

ね、陳腐でしょ。
posted by おおおかとしひこ at 00:51| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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