2020年03月04日

自分の思う通りのものを書いたら終わりか

何で完成かを判断することは難しい。
「最初に自分の書きたかったものが、
書き終えたから完成」では、
心もとない完成度になるよ。


そうではなくて、
「観客を振り回せる計算が全部たち、
その通りになると分ったとき」が完成ではないだろうか。
「自分が書く」が完成ではなく、
「みんながそこに入って楽しめる」が完成だと思う。

だから、完成の基準を、
「俺が気持いい」ではなく、
「見た人が最高に気持ちいい」があるべきだ。
ついでにいうと、
作者自身が見ても最高に気持ちいいものに、
なっているのがベストだろう。
客は気持ちいいかもしれないが、
私は気持ち悪い、だと、
強要されたAVみたいになってしまう。
そうではなく、
作者の信じたエンターテイメント、
しかも、観客の見るものとしてベストの面白さ、
になっていることが、
最高の完成状態だと言えるだろう。

自分は良くても観客は駄目だろうか、
ここまでサービスしたら駄目だよな、
もっと想像を膨らませよう、
もっと期待をあおろう、
もっとおどろきが大きくなるようにしよう、
もっと緊張が高まるようにしよう、
などなどの、いわばサービス部分のコントロールが、
どれだけ効いているかが、
実はプロフェッショナルにとって大事な部分だ。

本質的なストーリーが出来てから、
そこをコントロールしていくには、
客観力が大事なことは言うまでもない。

暗闇に一方的に投げるのではなく、
暗闇にいる観客とアイコンタクトを取りながら進めていくイメージだ。
しかし暗闇の観客は見えないから、
いるつもりでやっていく。
自分自身が観客席で見ている感覚になってもいいし、
観客と作者を超越した第三者目線で見てもいい。
僕は観客代表として、
最後にチェックすることが多い。
俺が一番厳しくて、賢くて、バカな客になるぞ、
と思って、
どれだけついてこれるのか、
どういう人は脱落するだろうか、
どういう人は夢中になるだろうか、
どういう人がどのへんで雑音が聞こえなくなり、
ストーリー展開に集中するだろうか、
などと考えながら、
トータルチェックをすることが良くある。

まず自分が夢中になること。
何も知らないどんな人が見ても、
思わず引き込まれて、感情移入してしまうこと。
それが理想で、
それをやるには、
どれだけ客観性があるかがポイントになってくる。
ある程度醒めていないといけないし、
醒めたら感動も笑いもつまらない。
冷静と情熱の間というが、
間だとどっちつかずなので、
両方を取っていくつもりでないといけない。

そういう意味で、
創作とは分裂行為である。

多分、その分裂を自覚している間は、
まだ夢中になっていなくて、
分裂するの忘れてたわ、
となる辺りが、観客も夢中になり、
我を忘れ始めるポイントだ。

すぐ夢中になってしまう人は客観性が足りないし、
ずっと醒めたままの人は、
それが詰まらないか、感情を失ってしまったかのどちらかだろう。

思う通りのものを書いたら終わりか。
「思ったこと」の範囲に、
「俺が思う気持ちいいもの」だけしかないならば、
思ったこと以上のチェックをしなければ客観性がないだろう。
「思ったこと」の範囲に、
「俺もみんなも楽しみ、夢中になり、
ここでこのような感情になり、
最後には、このような感慨が訪れる」
などの細かい所まであれば、
あなたが思ったことの実現があれば、
完成だと言えるだろう。

まずは何をどう具体的に計画するかだ。
で、結局、
プロットを書くことって、
そこまで計算して考えておくことなんだよね。
posted by おおおかとしひこ at 00:50| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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