何で完成かを判断することは難しい。
「最初に自分の書きたかったものが、
書き終えたから完成」では、
心もとない完成度になるよ。
そうではなくて、
「観客を振り回せる計算が全部たち、
その通りになると分ったとき」が完成ではないだろうか。
「自分が書く」が完成ではなく、
「みんながそこに入って楽しめる」が完成だと思う。
だから、完成の基準を、
「俺が気持いい」ではなく、
「見た人が最高に気持ちいい」があるべきだ。
ついでにいうと、
作者自身が見ても最高に気持ちいいものに、
なっているのがベストだろう。
客は気持ちいいかもしれないが、
私は気持ち悪い、だと、
強要されたAVみたいになってしまう。
そうではなく、
作者の信じたエンターテイメント、
しかも、観客の見るものとしてベストの面白さ、
になっていることが、
最高の完成状態だと言えるだろう。
自分は良くても観客は駄目だろうか、
ここまでサービスしたら駄目だよな、
もっと想像を膨らませよう、
もっと期待をあおろう、
もっとおどろきが大きくなるようにしよう、
もっと緊張が高まるようにしよう、
などなどの、いわばサービス部分のコントロールが、
どれだけ効いているかが、
実はプロフェッショナルにとって大事な部分だ。
本質的なストーリーが出来てから、
そこをコントロールしていくには、
客観力が大事なことは言うまでもない。
暗闇に一方的に投げるのではなく、
暗闇にいる観客とアイコンタクトを取りながら進めていくイメージだ。
しかし暗闇の観客は見えないから、
いるつもりでやっていく。
自分自身が観客席で見ている感覚になってもいいし、
観客と作者を超越した第三者目線で見てもいい。
僕は観客代表として、
最後にチェックすることが多い。
俺が一番厳しくて、賢くて、バカな客になるぞ、
と思って、
どれだけついてこれるのか、
どういう人は脱落するだろうか、
どういう人は夢中になるだろうか、
どういう人がどのへんで雑音が聞こえなくなり、
ストーリー展開に集中するだろうか、
などと考えながら、
トータルチェックをすることが良くある。
まず自分が夢中になること。
何も知らないどんな人が見ても、
思わず引き込まれて、感情移入してしまうこと。
それが理想で、
それをやるには、
どれだけ客観性があるかがポイントになってくる。
ある程度醒めていないといけないし、
醒めたら感動も笑いもつまらない。
冷静と情熱の間というが、
間だとどっちつかずなので、
両方を取っていくつもりでないといけない。
そういう意味で、
創作とは分裂行為である。
多分、その分裂を自覚している間は、
まだ夢中になっていなくて、
分裂するの忘れてたわ、
となる辺りが、観客も夢中になり、
我を忘れ始めるポイントだ。
すぐ夢中になってしまう人は客観性が足りないし、
ずっと醒めたままの人は、
それが詰まらないか、感情を失ってしまったかのどちらかだろう。
思う通りのものを書いたら終わりか。
「思ったこと」の範囲に、
「俺が思う気持ちいいもの」だけしかないならば、
思ったこと以上のチェックをしなければ客観性がないだろう。
「思ったこと」の範囲に、
「俺もみんなも楽しみ、夢中になり、
ここでこのような感情になり、
最後には、このような感慨が訪れる」
などの細かい所まであれば、
あなたが思ったことの実現があれば、
完成だと言えるだろう。
まずは何をどう具体的に計画するかだ。
で、結局、
プロットを書くことって、
そこまで計算して考えておくことなんだよね。
2020年03月04日
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