2020年03月05日

お話は平凡(「パプリカ」評)

突然パプリカを資料としてみることになったので、
リアルタイム以来再視聴。

こんな普通の話だったか。
以下ネタバレ。


1. 刑事のトラウマの克服
(映画に進むのを諦め、死んだ親友に「続きは?」
と言われ、現実の正義の人になって事件を解決)
2. パプリカと時田先生の結婚
3. 夢と現実の侵食事件

の三本がプロットラインとして存在する。
1をオープニングとクライマックス、
3をメインの事件とクライマックス、
2は添え物、
という構造か。

だけど3の黒幕の目的がいまいち普通で、
じゃあ何のためにパレードを出してきたのか分からない。
「途中で暴走があり、止めた」
というのなら、中途半端な話だなあ。

黒幕のゴールを明確にして、
それを阻止するというほうがわかりやすかったかも。
新宿に出来た巨大穴が、
パレードにビジュアル的に負けているので、
「あれ?パレードどうなったの?」
がずっと付きまとう。

夢が現実へ侵食するというアイデアは大変面白いが、
その現実的根拠が、たかが三つの道具では心許ない。
エネルギー保存則はどうなっとるんだ。

「実は全部が集団催眠のような白昼夢でした」
ってなれば良いのかもしれないが、
一応現実で起きたことのようになっているのが、
これでいいんだっけ、と思えた。

刑事のパプリカへの失恋物語は、
それで良いのだろうか?
パプリカの中の人(外の人か)の内面がほとんど描かれないのが、
よく分からずに感情移入しづらい。
突然時田先生とくっつかれてもなあ。

二重人格の統合の話でもないし、
パプリカは自由でいいけど、外の人がもう少し描かれていれば、
刑事、パプリカ、外の人が三者として主役になれたはず。
(当時はクールな女が流行だった記憶はある。
でもそれがファッションでしかなくて、
人間の内面に切り込んでいない気がする)


全体的に、アニメーションのためのアニメーションになっていて、
物語や顛末を見せるものになっていないのが、
リアルタイムで見たときと同じ感想だなあ。

原作は筒井康隆の小説らしいが、
「小説の中で映画を描く」のはアリだが、
「映画の中で映画を描く」のはナシだと思う。

ということで、
アニメーションとしては素晴らしい、
夢の中のもろもろやパレードなどが、
空転しているように思えた。


で、つまりは2をもっとプロットラインとして立てれば、
納得がいったかも知れない。
3の黒幕の話は、前半の陰謀論っぽいところは減らせると感じる。

はて。
この映画のテーマはなんだっけ。
映画落ちになると自己言及ループが起こるので、
「映画っていいですよね」にしかならない。
「おれは現実で夢を叶えた」がゴールだから、
「もう二度と映画なんて見る必要はない」
あるいは「別の自分になりに映画を見る」
にきちんと落とせてれば、
(そしてそれまでに前ふれていれば)
ラストシーンに意味があるかもだ。


アニメーション的にもっとも素晴らしいパレードが、
ただのツカミにしかなっておらず、
クライマックスに直結していないのが大変惜しまれる。
全裸幼女巨大化がクライマックスって。
パレードがクライマックスで、
パレードがポスター絵になるように、
ストーリーをコントロールするべきだったのでは?


現代のええじゃないかだとすれば、
「集合無意識的に、みんな子供に帰って、
仕事や責任を放棄してどこかに行きたいのだ、
だからその無意識が現実に侵食した」
となれば良かったのか。
ハーメルンの笛吹的には、
新宿に空いた穴へ、みんなが落ちていけば良かったのだろうか。
(シナリオにはあったが予算的にカットされてるかも、
ということを今想像した。
だとすると巨大化シークエンスをカットするべきだったな)

でも、だとすると、
「夢(人生の目標)ってなんだろう」として、
刑事の話はできてるので、
これがパプリカの話にもなるようにすれば、
完璧になれたかもしれない。

パプリカは謎の女だから、ほんとは結婚とかしちゃいけない。
一切謎にするか、
外の人の人生をフルに描くかの、
どちらかを選択するべきだったろう。


アニメーションが99点、ストーリーが50点くらいの、
大変惜しい作品であった。

リアルタイムの記憶では、
パレードと夢の侵食の話、程度の記憶だったが、
まあその程度のムービーということだろう。


ここからオタクに対して厳しくいうが、
「自分を投影したカッコイイ主人公としてハードボイルドな刑事」、
「それと危うい関係になるいい女(ご都合)」は、
メアリースー以外の何者でもない。
ご他聞にもれず、主人公は作中最強の武器、
銃を持っている。
(「天気の子」でもそうだったね。
楽して最強になりたいんだよね)

唯一の拳銃が出てこないストーリーを書いた方が、
ストーリーが書けない病を克服できるよ。
ストーリーとは、「弱い僕がもし最強だったら」
以外に、無限にあり得るのだから。
posted by おおおかとしひこ at 12:05| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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