たぶんもっと簡単で、「慣れてないのはこわい」だと思う。
だってhhkbを買わない理由が、
「ファンクションキーがない」「カーソルがない」だもんね。
hhkbの名誉のためにメモしておくが、
もちろん物理キーとしてはないが、
ファンクションキーはFn+数字キー、
カーソルキーはFn+右小指にダイヤモンドカーソルとして、
それぞれバインドされている。
論理キーとしては存在する。
「ファンクションキーがない」「カーソルがない」
というのは語弊で、
「Fnとの組み合わせが面倒」「単打ではない」「Fnキーが押しづらい位置にある」
ならば、批判としては妥当だと思う。
さて、たかがこれだけでも、
人は論理配列を変えるのが嫌なのだ。
僕は「明日からカーソルキーが左手担当になります」
と言われても「2、3日で無意識化できるやろ」
と思うが、
普通の人にはパニックくらいの衝撃だと考えられる。
僕は無刻印キーボードでも問題ないけど、
普通の人は、印字がないと恐怖で死ぬのではないだろうか。
そういえばhhkbではBSキーやESCの位置も違うのだが、
これだけでもhhkbを使わない理由になるらしい。
A横のctrlは便利だから何も言わないっぽいが。
自作キーボードにおいても、
親指エンターや親指BSについて、
根深い恐怖心がある。
親指にシフトキーがあるだけで、
「小指にシフトキーがない!」と焦る人もいる。
それくらい、
「いつもと違う」ことに恐怖心があるらしい。
日常性バイアスの一種だろうか。
合理的で新しいことに挑戦するよりも、
非合理でいいから日常を変えたくないほうを優先する。
(これは日本の停滞の原因の一つでもあるかもね)
じゃあリアルフォースの、
変換無変換がR2になって遠くへ行ってしまったことはどうなんだ、
となると、
普段使ってないから関心がない、
というのが一般的な考えだろう。
つまり普段よく使う奴が、
日常と違うときに恐怖を感じるのでは。
たとえばBSキーは明らかに;位置にあったほうが合理的だが、
そうするだけで不安になる人がいる。
変換キーを使わないなら、BSと変換を交換したほうが合理的だが、
それでも恐怖する人がいる。
なぜだろう。知らないことをするのが恐怖なのだろう。
自作キーボードの人たちに、
ローマ字配列やカナ配列を普及しようとして話すと、
「親指キーやレイヤーに慣れるだけで大変だったのに、
文字を変えるなんてとんでもない」
という意見が大半だ。
「文字を打つにはこの動きは合理的でないから、
配置を変えれば導線がきれいになるぞ」
よりも、恐怖の方が大きいらしい。
自作キーボードの集まりでは、
キーマップの見せ合いっこもしたいんだけど、
ほとんどの人はデフォルトのキーマップみたいだ。
変えるとしてもいくつかの交換だけで、
僕みたいにレイヤー改造するまでは考えないっぽい。
それは、「いつでも元に戻れるように」
という意識が働いている、
と僕は感じた。
プログラマの人たちは、
自分のキーボードだけで仕事をするわけではなく、
派遣先のキーボードを使うこともあるらしく、
標準で慣れておくことを美徳とするひとが多い。
hhkbが普及しきらないのも、そのストッパがあるからだそうな。
いわんや文字配列においておや、
といったところだろうか。
もし自宅PCでしか仕事をしなくてよくて、
一生共有PCを使わなくていいとなったら、
物理配列も、論理配列も変えるだろうか?
リモートワーク元年に結果的になっている気もするが、
この隙にみんな配列について考えるといいのでは。
「慣れてないのはこわい」もあるし、
「慣れるのがこわい(元に戻れないのでは?)」もある。
それは、単に未知のものを避けているだけだと思う。
ということで、
論理配列をいじるのは、
BS、エンター、カーソル、
ESC、TAB、ctrl、シフト、あたりからやると、
いいと思う。
戻れないことはない。行き来は可能ですよ。
(最初は混乱するけど、2週間もすれば慣れる)
2020年03月06日
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