2020年03月06日

同じものは必要だし、違うものも必要だ

全く違うものは人は理解できないので、敬遠する。
同じものなら安心するから、手を出す。

でも同じものばかりだと飽きてくる。

今はどっちの時代だろう?


この15年くらい、
日本の映画やドラマは、同じものばかり提供してきたように思う。

「事前に儲かることの保証」をスポンサーにしなければならないがゆえに、
冒険ができなくなったことが大きい。
ビジネスの規模が縮小し、
「10本作って1本当たれば会社は経営できる」という80年代の基準から、
「1本単位で、製作費の倍以上回収目標」という、
製作委員会方式になったことも大きい。

つまり、
映像はギャンブルではなく、保証になってしまった。
利確でないと投資しない投資家にも問題があるが、
それを責めてもしょうがない。
投資家を必要とするビジネスモデルが問題だ。


で、ストーリー論だ。

こういった状況下では、
同じものばかりが要求された。
ヒットしたものを真似する、
ヒットした原作の映画化。
ヒットした芸能人を連れてくる。
それは最初はおもしろかったかも知れないが、
いずれ順列組み合わせの限界がやってくる。
新しい芸能人や原作が出てくる速度よりも、
消費速度の方が速い時、
枯渇がやってくるわけだ。

あるいは、ヘビーな客ほど離れてゆく。
同じものを提供されたら、
「もっと違うものはないのか?」となる。
ないなら去ってゆくだけだ。

つまり、客は初心者しか残らなくなる。


この15年くらい、20年くらい?
フジテレビが「踊る大捜査線」を当ててから、
日本の映画やドラマは、
同じものしか作ってないと思う。

だから、滅びかかっている。


一方、Netflixの黒船が来たが、
新興勢力である以上、
同じものの提供ではなく、
「新しいもの」で勝負を仕掛けざるを得ない。

新しいものとは、
常に前任者の否定だ。

同じものばかり提供する飯屋を考えよう。
ど定番の人気料理はわかるが、
新メニューのない店は飽きられる。

新メニューと称しても、あれとあれとあれの組み合わせじゃねえか、
とバレたら売れない。
今の日本の映画やドラマは、
「新メニュー登場!
天津飯とラーメンを組み合わせた、天津麺!」
みたいなことをずっとやっているに過ぎない。
天津麺って、一生に2回くらいしか食べないよね。

その2回しか持たないものしか提供できていない。
痩せていく一方だ。

我々脚本家が斬新なものを提案しても、
もっと天津麺くらいのやつを、
とよく言われる。

それ、おもしろいと本気で思ってるのかな。
それ、儲かると本気で思ってるのかな。
本気なら僕は願い下げだ。
「これ、儲かるということにしてスポンサーを騙して、
こっちで勝手におもしろいもの作っちゃおうぜ」
というプロデューサーもいるが、
それで面白いものを作れたかはわからない。


で、まともな客も製作者もスポンサーもいなくなり、
初心者レベルの客と製作者とスポンサーが、
ぐるぐる回ってたいへんだって言ってるのが、
今の映像業界のような気がする。

20年前はそれほど目立たなかった瑕疵は、
いまや資金不足で露骨に見えるようになってきた。
バブルの残り香のころは、
ビジュアルが豊かだったから、それだけでも娯楽価値があった。
しかし資金が枯渇している以上、
何も提供できていない。


Netflixは企画を公募していない。
みんな潜り込もうとしているが、
なかなか狭き門だ。
Netflixが日本の映画やドラマをある程度駆逐したら、
Netflixが似た運命を辿るかは、わからない。


不景気と言われて久しく、
衰退の道が見えてきている。
僕は面白いものを書いているが、
発表の場はなかなかない。

脚本をネットにでもアップしようかな。
昔はパクリが怖かったが、
今なら監視が利くかも知れない。



同じものを要求されても、
違うものをつくるべきだ。

転がる石には苔は生えないし、
流れる水は腐らない。
posted by おおおかとしひこ at 09:29| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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