2020年03月07日

スケールの大きな話を書こう

物理スケールが大きい方が、
スケールが大きいか?
僕はそうは思わない。


人間の器が大きい話、
人間が激変する話、
人間関係が激変する話、
人間というのはここまで○○なのかという話、
などで、
スケールを大きくすることができる。

逆に、
物理スケールや時間スケールが大きくたって、
ちっぽけな話は山ほどある。
映画「2001年宇宙の旅」は、
ビジュアルスケールは抜群に大きくて良かったが、
お話は「人類の進化」でしかなく、
それはスケールとしては一枚絵でしかない。
AIは自我を持ち、ボウマン船長はスターチャイルドになったが、
その先の進化がどうあるべきなのが描かれていないので、
永劫回帰から出れていないと僕は感じる。

あるいは、
SF小説の勉強のため「オーラリメイカー」を読んだが、
これまた物凄くスケールが大きな話なのに、
ストーリーのスケールは、ただの友達探しや、
植物が芽吹いて種を撒く話にしか見えず、
かなり矮小なスケールの話に見えた。
構造はスケールが大きいのに、
話のスケールが小さいと思う。

逆に、たとえば、
ストリップ小屋の再興話という、
物理スケールは小さいのに、
スケールの大きな人物を描く、
「ヘンダーソン夫人の贈り物」という秀作もある。


話のスケールは、
僕は人間の器や、人間関係が決めると思う。
それは物理距離ではなく、
我々が感じるおおきさ、ふかさに関係していると僕は考える。

半径1メートルを扱うストーリーが悪いわけではない。
半径1メートル程度の深さしかないストーリーが悪いだけだ。

何万年かけたって、弟を失った悲しみしか描けない、
「ツリーオブライフ」という矮小なストーリーだってあるじゃない。



あなたの描く人間は、深いかね。浅いかね。
posted by おおおかとしひこ at 17:32| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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