2020年03月09日

タイトルを考えることは、内容を考えること

何がヒキになるのか?(ガワ)
何がテーマなのか?(内容)
何がオリジナリティなのか?
どういうジャンルなのか?
まったく新しいジャンルだとしたら、その導火線になるもの。

これらが揃っていることが、
良いタイトルの必要条件であるからだ。



つまり、脚本がちゃんと出来ていることが、
そもそもの名タイトルの必要条件だ。
タイトルが良くて内容が良いのは十分条件で、
つまりは、
タイトルと内容は必要十分条件であるべきだ。

内容が良くてもタイトルが良くないと、
そもそも人口に膾炙しない。
タイトルが良くても内容が良くないと、
タイトル詐欺として噂が広まり、信用問題になる。

世の中にあるタイトルは、
そこそこ生き残ってきたものたちで、
ツタヤが在庫処分をしたら、どんどん整理されていくだろう。


予告編や上映前の宣伝は、頼らないことだ。
宣伝部がクソの場合もある。角川映画宣伝部とかね。
僕の許可を得てない宣伝活動しかしていなかった。

タイトルこそが商品名であり、
キャッチコピーであり、
本質であるべきだ。


で、それが出来ているってことは、
中身も出来ているってことだ。


良くあるのが、
いいタイトルを思いついたのだが、
内容が伴っていない場合である。

タイトルを思いつくのは一瞬だけど、
内容を書くほうが時間がかかり、
難しいからである。

内容が良いのにタイトルがまずい場合はあるか?
あると思う。
それは、タイトルのネーミングセンスが悪いのだ。
短く言い切ることは、
その99.9%を捨てることで、
たった一点だけ残して全部捨てるのは、
とても勇気が必要で、迷いが生じるからである。

でも、大体、
そのタイトルにふさわしい程の、
劇的でキャラの立った話になっていないことが多いだろう。

キャラの立ったタイトルをつけられないのは、
キャラの立ったほど面白い話でないことと、
大体相関がある。


もし先行していいタイトルを思いついたとしたら、
「それに相応しい内容はこうあるべきだ」
と逆算して考えて、
いまいちな内容をどんどんリライトして、
立てていくと良くなるだろう。


要するに、
タイトルは「知らない人から見てキャラが立つこと」が大事で、
内容も、
「知らない人から見てストーリーそのもののキャラが立つこと」
が大事なのだよ。

地味で起伏の少ない話がいい話とは限らない。
そのタイトルに相応しい、
立体的な立った話になるべきだ。
そのように、リライトしていく指針として、
タイトル先行は利用できる。



「湯を沸かすほどの熱い愛」は、
このタイトルに相応しいほどの、
破天荒熱血かあちゃんであるべきだったが、
宮沢りえはそのキャラクターに相応しくなかった。
彼女の良いところは120%出ていて、
彼女の代表作と言ってもよいが、
タイトルとは齟齬がある。
誰だったら出来るかな。
歳をとった蒼井優かなあ。
でも太った人がいいと思うな。太りはじめの松坂慶子とかかな。
また、シナリオ自体も、
もっと豪快なエピソードであるべきだったか。
動的で大阪人的な羽目を外したものが、
タイトルに相応しいと思う。
舞台は九州とかの方が良かったかもね。

(たとえば、無頼派西原理恵子の自伝的漫画「毎日かあさん」
の実写企画を2006年ごろしていたが、
その時僕が出したキャスト案は、
「下妻物語」直後の土屋アンナだった)



今の出来だと、
「湯を沸かすほどの愛」あたりだと思う。
あるいは、中の内容を反映させれば、
「湯を沸かすのは、愛という遺伝子」
とかでもいいかも知れない。

単純な、知らない人へのキャッチ力として、
「湯を沸かすほどの熱い愛」
に決定されたのだろう。
上にあげた二つではこれに負けるからね。

しかしやるべきは、
上にあげた二つ程度の内容を、
「湯を沸かすほどの熱い愛」に相応しいシナリオに、
書き直すことだったと思われる。



このように、
内容とタイトルは、不可分の関係で、
キャッチーで、強くあるべきだ。

微妙なタイトルも、微妙な内容も、履いて捨てれば良いのである。
posted by おおおかとしひこ at 12:15| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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