三幕構成に合わせて考える。
ざっくりいうと、
一幕、二幕、三幕の役割は、
序論、本論、結論だ。
一幕(序論)
まだ何もわかってない、
意識や関心や考えや文脈もバラバラの人たちが、
一つのこと(センタークエスチョン)に、
集中するようになるまで。
この物語はどういう背景で、
どういうことに焦点を当てて最後まで見ればいいか、
ということのプレゼンが一幕だ。
自分の生きてきた文脈にあてはめれば、
これはこういうことだな、
などと脳がざわざわして、
起こっていることに対して、
このように興味を持てば良いのだな、
と、「座り方」が決まるまで。
ざわざわしていた観客が静かになり、
集中をはじめるまで。
この時点で、これまで生きてきた肉体や脳は、
椅子の後方に置いてきている。
物語の中の世界に入っている。
そして出口はここで想像できている。
センタークエスチョンにイエスと答えるはずだ。
つまりこの物語を、ラストまで俯瞰しているはずだ。
あと90分はその方向性で楽しめばいいと、
安心して身を乗り出すわけだ。
その方向性及び結論が見えていることが、
序論の役目だと思う。
本論の前提、
つまり世界はこうなっているが、
本論ではここの部分を切り取りますよ、
なぜならこのような結論が予定されているからです、
の部分がやれれば、
序論の形式は問われない。
二幕(本論)
なんでもありだ。
だからこそ難しい。
序論が、遊園地はここからここまでです、
と土地を線引きして、閉園は5時です、
と示したとすれば、
その中にどのようなアトラクションが、
どのような動線で置かれているのか、
が本論だろう。
何かと何かはペアになっていたり、
何かと何かは直列であったり、
何かと何かは裏表の関係にあるだろう。
ディテールは微に入り細に渡る。
それらすべてを退屈なく見ていけること。
読めたらおしまいだ。
飛ばしてもいいと思われたらおしまいだ。
ハイハイ大体わかりましたと思われたらおしまいだ。
前提は崩れ、こっちへいくのか、
という意外性があり、
足元は常に不安定であるべきだ。
息をもつかせぬ夢中ぶりで、
しかしほっとしたところはとことんほっとして、
望むと望まざると、
運命に翻弄されるべきである。
本論は「だしもの」である。
なにをだしものにするか、
どの順であるべきか、
先を読めない、興味を失わないものであるべきだ。
そして、半ばを過ぎた頃、
結論が見えてくるべきだろう。
最初に序論で一度思った出口へ、
これは向かっているのだろうかと。
それはますますディテールを詳細にして、
我々を待っていることが確かに予感されるべきである。
なぜなら、
その結論こそが、私たちの向かうゴールで、
観客の出口であるからだ。
結論が見えてきたら、
寂しくならなければならない。
もうすぐ終わっちゃうよなと。
でも終わるために始めたんだ、
終わらせなくてはならないな、
という瞬間があるべきだ。
その偉大なる結論を目撃することが、
本論の展開の、行先である。
三幕(結論)
なんのためにここまで来たのか、
これまでのことは何だったのか、
世界にとってこれまでの旅がどのような意味があるのか、
決まらなくてはならない。
そしてそれは、テーマと言われる。
なぜ始めたのかは、
このテーマで終わるためである。
そのテーマを言うためにこれまでが必要欠くべかざる、
必要十分なものであったとき、
人は満腹する。
さらに、意外なところへ着地するサービスも歓迎だ。
ただの意外落ちではだめで、
それが結論として必要十分であることが必要だ。
意外な着地は必ずしも必要ではない。
王道は、
期待されたものを期待通りに終わらせて、
その期待を120%満足させてくれることだ。
(ドラマ風魔はそこに達していると思う)
これが一点に集約したとき、
三々五々から集まった観客は、
また三々五々の場所や文脈に戻っていく。
しかし同じ一点をこれから永遠に記憶することに変わりはない。
それが、彼らの人生にとって意味があるかは、
序論本論結論が、
見事であったかどうかでしか決まらない。
こうなるように、
我々はコントロール出来てるか、
ということが大事だ。
それはとても簡単で、
普段からそういう風に見てるか、
ということなのだ。
興味が持てないものは興味をもたず、
くそはくそだと正直にいい、
興味が持てなかったのに、段々興味が持てれば正直に申告し、
夢中ならそう言い、
泣いたり拍手したりすればそう言えばよいだけだ。
あなたがもっとも正直な観客であれば、
あなたのコントロールが正しかったかどうかがわかる。
身内びいきや卑下し過ぎなのは、
正直な観客であることにたいして、
誠実ではないと思う。
忖度なんていらない。
自由で正直な観客として、
ストーリーを語ってみればよい。
そのようにコントロールされれば、
満足のいくものになるだろう。
2020年03月09日
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