2020年03月10日

【薙刀式】僕がステノワードに行かなかった理由

金を出せばスクールで教えてくれるらしいので、
これだけ情熱を傾けている僕が興味を持たないはずがない。

一番諦めた理由は、
「集中力が一時間しかもたず、休憩が必要」
という、オペレータをすり潰す仕様になっていることだ。


ひらがな入力と、漢字変換は別の人が行う、
二人体制であるということよりも、
一時間しか持たないなら、
手書きの方が持つぞ、と思ったのだ。

勿論、ステノワードがもの凄い文字数を書ければ、
手書きの凌駕の可能性も考えた。
でも、自分の思考が、
薙刀式によれば1500字/10分もないことを考えれば、
だらだらと手書きで3時間やったほうが、
漢字変換しなくていいし合理的だ、
と考えたわけだ。


速記も考えた。
しかし速記は一字一句を記録せず、
圧縮入力をするらしい。
つまり一字一句の再現は難しいらしい。
その分速くなるんだね。
同時通訳に似ているかもしれない。

一字一句を大切にする僕の原稿の性質では、
ないな、と思った。

音声入力に関しては、
自分の思考が脳内発声を伴っていないことから、
別のものが記録されるだろうことを憂慮して、
導入は見送っている。

これらの道具は、
「何かをコピーすること」に特化した道具だと思う。
「思考や発想(や発言)が電光掲示板のように順次出てきて、
それを拾っていく」というモデルに基づいていると思う。
拾う随伴速度が思考や発想の速度に達すれば、
目的を果たすと。

僕はこのモデルが間違っていると思っていて、
「書いたものが思考に影響を与える」
が無視されているからだ。
手書きの優秀なところはこの反力があることで、
この手触りによって思考が変転していく。
(だから紙やペンを変えると思考は変わる)
もちろん、大元の構造などは変わらないだろうが、
表現や展開はおそらく変わる。
再現実験が出来ないので、主観ではあるが。

そもそも思考や発想は、
湧いて出てくるものではなく、
外界へのリアクションとして生まれると思う。
何かを見たから何かのアイデアが出るのであって、
何かを見たから何かを言いたくなるのであって、
坐禅した状態から思考が何万字も急に出てくるわけではない。

だから、
思考の道具としても筆記用具はあるべきで、
それにはステノワードや速記や音声入力は、
事務的というか機械的だと感じたのだ。


思考はもっと有機的なもので、
筆記用具が思考をかきまぜる役割をするべきだと思う。

今のところ、手書き、薙刀式とフリックは、
その役目を果たしている。
qwertyローマ字は無理だ。
posted by おおおかとしひこ at 10:54| Comment(6) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>これだけ情熱を傾けている僕が興味を持たないはずがない。
すごい情熱ですね。

>僕はこのモデルが間違っていると思っていて
「何かをコピーすること」に特化していることは明白で,人の音声をデジタル化
する道具なのですから,間違っているというと,これはまずいと思います。
テープ起こしを手伝った事がありますが,とても大変な作業ですし,同時翻訳的
なのなら,耳の聞こえない人のために速く,できるだけ情報を落とさずに表示して
あげる必要があります。1時間とかいうのでなくて,頻繁に交代して長続きさせた
りしている例もあります。

しかしながら,面白くてとても参考になりました。ありがとうございました。
Posted by せき at 2020年03月18日 07:12
>せきさん

間違いというのは、「もっと合理的な方法があるはずだ」
という直感です。

大変なのはわかりますが、
大変なら改良すべきだというのが僕のスタンスです。
やり方が悪いか道具が悪いかのどちらかです。
改善こそ人類の長所です。

昔はキーボードは電機メーカーの独占でしたが、
自作キーボードの発展によって、
個人でも物理キーボードが作れるようになりました。
もう数年ブームが水面下で起こっているのに手を打たないメーカー陣は、
「大変だ」で放置している無能だと思います。
Posted by おおおかとしひこ at 2020年03月18日 10:54
ちょっと議論がずれている部分があるとは思います。
私の主張は,ステノワードは一種のコピーマシンで創作の道具ではないでしょうと
いうことですけど,
>もう数年ブームが水面下で起こっているのに手を打たないメーカー陣は、
>「大変だ」で放置している無能だと思います。
には賛同です。私たち,あるいは日本のメーカーが,先輩(今のメーカーの創業者達)
に,放蕩息子呼わばれしても仕方ない状況にあると思います。
音声データのデジタル化(各記者が記者会見でカシャコショやって質問もできない。
頭をフル回転して質問を探すわけでもない など)のコストは高いし,同時通訳的なもの
はもっとコストが高いのですけど,高いから研究費を沢山費やしても,ソフト、ハードの
価格が高くても見合う。考えなくては嘘だと思います。
Posted by せき at 2020年03月18日 12:41
>せきさん

僕はステノワードだろうが速記だろうが、
速く書けるなら創作にでもメモにでも使えると考えています。
スマホのフリックは最速入力法ではないものの、
その汎用性において、中途半端なqwertyを凌駕しています。
僕はこのブログの記事の半分以上は移動中にスマホで書いてるので。

ステノワードももう随分前の道具だと思うので、
それを超える新しいキーボードや打鍵法や、音声入力との組み合わせなどが出てきてもいい頃だとは思います。
(個人的な意見ですが、日本語は最終的にはキーボードに向いてないと考えてますけどね)
Posted by おおおかとしひこ at 2020年03月18日 13:04
「タイプライターは書くより速く入力できる機械というのが、日本でどうかしら」
というのは、
道具がキーボードであろうがなかろうが、私たちには悔しい事なのだと思うけど、
どの程度共有されている残念さなのでしょうか?
願わくは漢字を直接入れたいとかいう要求があるのですね。
富樫氏の超多段シフト方式「風」はどこに行ってしまったのでしょう?と思います。
> 日本語は最終的にはキーボードに向いてない
「漢字に 変換 してはいけない」ということですか?
Posted by せき at 2020年03月19日 20:25
>せきさん

外国人はほとんどが手書きが汚いので、
タイプライターが発達した背景があると思います。
日本人でも、字を書くことが苦手な人はタイピングの方が速い、
という人もいますね。
僕は書道が得意だったのでそうは思わないですが。

日本語の複雑さに対して、
キーボードが無理をしてると感じます。
漢字変換も僕にとっては邪魔ですね。
漢直入力は常に調べているのですが、
若い頃なら丸暗記したかもしれません。
Posted by おおおかとしひこ at 2020年03月19日 22:54
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