2020年03月11日

今の映像現場の問題点

僕は、「スポンサーと観客の間にいる、中間層」
が問題だと考えている。
彼らは「スポンサーに通る企画」がビジネスを生むと信じている。
(失敗したら監督やキャストのせいと損切りして自分は生き残る)
おいてけぼりは観客だ。
彼らは観客のためではなく、スポンサーの為に映像を作っている。
つまり彼らはスネ夫である。

水曜日のダウンタウンのプロデューサーが酷いツイートをしていた
(現在は削除らしい)のを晒して、
その闇を観察しよう。


>出来ないけど、「コロナに積極的にかかりにいく」って企画、
毎日YouTubeに上げたら盛り上がりそう。
で、結局めちゃくちゃ頑張ってもかかれないってオチがベスト。

できるか出来ないかはどうでもいい。
面白いが面白くないかだ。
YouTuberや誰かが、
「コロナに積極的にかかりにいく」は、
もうむしろ誰かがやっていてもおかしくない企画だ。
ダイヤモンドプリンセスに乗り込んだり、
ライブハウスやスポーツジムに行って、
何が怪しいのか、
誰かの咳をわざと受ければいいのだ。

不謹慎だろうがなんだろうが関係ない。
面白ければそれでいい。

問題は調査の甘さで、
「感染率がとても高い」ということを、
企画の前提に入れてないことである。

「手洗いをせずにめしをくうぞ」
「電車の吊り革を触った手で、目を擦るぞ」
とか、色々あるだろう。
積極的にかかりにいけば、
一日から二日で感染はするはずだ。
熱が出れば盛り上がるだろうか?
恐怖しか広がらないのでは?
それがおもしろいか?

かかるか、かからないか、のギャンブルなら面白いかもしれない。
しかし新コロナは感染力が非常に強い。
だから厄介だというのに、それも知らないのだろうか?

治ればいいが、
決定的に治す治療法は確立されていない。
つまりこれは死への片道切符、
しかもかなり確実な、の生中継企画である。

自殺志願者を募り、検体するという企画なら、
まだアンダーグラウンドギリギリで成立するかも知れない。


これが面白いか面白くないかでいうと、
眉をひそめつつも、一定の人が喜ぶ企画にはなるだろう。
コロッセオで自分より身分の低い人が刺されて死ぬのをみて、
喜ぶのが人間という生き物である。
それを面白いというならば、面白い範疇だ。

僕が指摘する闇は、ラストの部分だ。

「結局めちゃくちゃ頑張ってもかかれないってオチがベスト。」
なぜ?


コロナが感染力が強いのはわかっているのに、
なぜかからない?
それは、
「かからないオチ」だと、
スポンサーが買いやすいからである。

「世情に不安を与える企画だと思いきや、
実は安心するんですよ。
話題にもなるし、オチで安心するんです。
これはCM枠殺到です」
とプレゼンして、スポンサーに金を出させやすい、
という意味で、
「ベスト」だと僕は読解した。


これは、現実と観客から逸脱した、
プレゼンでしか存在しない架空の嘘である。

観客からすれば、かかって死ぬまでのドキュメントでしかないものを、
かからないベストのオチにしてスポンサーに売るわけだ。

この、二重の裏切りが、
中間層の問題点であると、僕は考えている。

プロデューサーは生き残りたい。
つまりスポンサーから金を引き出したい。
スポンサーは、彼らが受けると思うものにカネを出す。
本当に受けるかどうかは、彼らは素人なので判断がつかない。
だから、「彼らが信じたいもの」、
それは現実と異なるものででも、カネを出す。

プロデューサーはそこにつけこむ。
「これは世間に受けます」と、
真実でないものをプレゼンしてカネを回す。

そして真実でないものだから、
観客には少しも引っかからず、惨敗する。

プロデューサーは現場の監督やキャストが良くなかったとして首を切り、
別の企画をたてて、別のスポンサーのところへ持っていく。
「彼らがカネを出しやすそうなもの」を。


この構造がある限り、
「本当に観客が面白いと思えるもの」は、
永遠に作れない。

たとえば「風魔の小次郎製作委員会」というスポンサーに、
腐女子むけのコンテンツを作りますと、
プロデューサーはプレゼンしたが、
現場の僕はそれを裏切り、それ以上のドラマを作った。
「腐女子むけのコンテンツ」は、
僕の抜けたRh+、TGT、グリーンウッドなどで実現した。
スポンサーの欲しかったものは、
どっちだったか。
後世まで残る傑作が、顧客の本当に欲しかったものではないか?

中間層のプロデューサーに、僕は心証がわるい。
彼らの理屈よりも、観客の理屈を優先するからだ。
彼らは仕事として嘘をついているが、
僕はつまらないものはつまらないというからだ。

風魔のプロデューサーたちは、
それでも僕の作るものがおもしろいから、
しょうがねえなこの監督は、
と僕を守ってくれたから、
最終回まで突っ走れた。

こんな男気のあるプロデューサーは、滅多にいない。



「結局めちゃくちゃ頑張ってもかかれないってオチがベスト。」
なんていうプロデューサーは、
観客から見てのオチが、それだったらベストだと思っているのか?
そうだとしたらオチを舐めている、
つまらないストーリーしか作れない才能のない男である。

スポンサーから見てのオチがベストだと思っているのなら、
観客を裏切りスポンサーのケツを舐める野郎だ。

いずれにせよ、
このプロデューサーはクソだ。
姓名を晒せ。



ということで、
新コロナに限らず、
このスネ夫みたいな野郎どもがはびこったのが、
ここ15年くらいの映像業界の流れだと思う。

景気が上向きの時はそれでも回ったが、
下向きの時は、負の連鎖が回っていると思う。

こうして、体力の尽きたところから順に死んで、
新陳代謝も行われていないのが、
現在の焼け野原ではないか?

Netflixに根こそぎやられればいいんだよ。
posted by おおおかとしひこ at 02:28| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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