広告でよくあるのは、
スポンサーから、「弊社の中のシステムで上に通る企画を」
と求められることが最近とても多いこと。
御社のシステムなんてどうでもいい。
視聴者の心に届き、
愉快にさせたり幸せにしたりして、
御社に快いイメージを構築し、
御社の信用が上がり、
結果売れる。
商品力に頼らない広告
(よほどのモノなら広告などいらない)
というものは、そうしたものである。
つまり、
広告そのものが商品であるべきだ。
広告を見ているだけで幸福になるべきだ。
御社のシステムは、
それを見抜き、上まで通せるものでしょうか。
僕は、コンテや企画を見るのは、
ある程度洗練されたプロフェッショナルでないと難しいと思っている。
台本を読んだだけでヒットするかどうか分からない人は、
台本を読む資格がないと思う。
御社のシステムは、
そのように洗練されてますかね。
素人たちがプロのいない場で喧々諤々やったって、
せいぜい5ちゃんやTwitterの、
素人談義でおしまいだぞ。
御社はそれをどのように避け、
どのようなビジョンで世の中と対話しようとしてるのだ?
中間層が、自分可愛さのために、
「上に通る企画を」などというから、
広告は硬直していく。
それを受けた代理店が、御社の上に通るものしか出さず、
監督は御社の上に通るものしか出さず、
視聴者はおいてきぼりだ。
中間層は今何レイヤーあるのだろう?
それらがそのたびに忖度しているから、
日本は今勢いを失い、
滅びの道へ向かっていると僕は考えている。
だって現場のフレッシュなものは、
まったく上に通せないからな。
現場のフレッシュなものは、
YouTubeやTwitterなどの、
音速の速いジャンルで花咲いた。
つまり、
忖度の中間層は、
企業を鈍重にした。
慎重にもしたが、
何もできない鈍重にした。
デファクトスタンダードのqwerty配列を、
僕は別カテゴリで徹底批判しているが、
これも上に通せない中間層が、
現場の役に立っていないqwertyをそのまま放置して、
100年間鈍重にした結果だと僕は考えている。
なぜなら、
qwerty以外の配列は、有志たちによって、
徐々に広まりつつあるからだ。
デファクトスタンダードは鈍重である。
進化の袋小路に陥り、
ポテンシャルの井戸から抜け出られない鈍重だ。
その原因は、何層もの、
「上に通る企画しか持ってこない」中間層の存在だ。
僕が大企業のトップならおかしいと即座に思う。
社長たちはそうではないらしい。
なぜなら、企業も、株主への忖度という中間層だからだ。
株主や投資家は、現場のことなど見てなくて、
結果儲かるかどうかしか見ていない。
株主や投資家は価値の創造などできない。
私たちは価値の創造をしているが、
それは中間層のフィルタを通して、
上下する株価のゲームへ変換されている。
しかし私たちが享受するのは、
想像された価値だというのに。
自分が信じた価値を信じて、
それを普及させるのが、
原始的でベストで、
中間層はそれをうまく通すことが仕事で、
上に忖度することが仕事ではない。
そんなスネ夫中間層なんて滅びればいいのだ。
かくして、
中間層の多いシステムは滅びに向かっている。
今熱い自作キーボードは、
家内制手工業のレベルで、
つまりはクリエイター一人の価値創造が、
直接求める人と触れ合っている。
同人誌もそうだよね。
良い価値の伝達は、これをモデル化するべきである。
ということで、
なぜコロナにかからないオチがベストなのか、
猛烈に反省するべきで、
反省できないなら廃業したほうが世の中の為になる。
2020年03月11日
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