五輪中止が民意だと思うよ。
コロナが収束すると思ってるのかい。
日本で収束しても、イタリアや韓国を見てれば、
世界中から集まるイベントを警戒するのは当然だろう。
それとも、現場の事情を上が把握してないのかい。
アサガオ珍作戦は、インパール作戦と同様だったのではないか?
組織論として、脚本論として少し考えてみよう。
以下ニュースから引用。
>広告代理店、電通元専務の高橋氏は、五輪招致にもスペシャルアドバイザーとして携わってきた。「来年のスポーツイベント予定は大半が固まっているため、延期の場合は2年後の方が最も調整しやすい」との考えを示した。さらに11日には共同通信の電話取材に「現実を踏まえ、それなりに対応しないといけない」と、大会延期の検討を今月末の組織委理事会で提起する意向も明かした。
> この発言に組織委の森喜朗会長が緊急会見し「とんでもないことをおっしゃったな、と。『口が滑ってご迷惑をかけた』と言っていたが、軽率な発言は厳に慎んでほしいと言った」と極めて強い不快感を表明。「安全で安心な五輪を進めるのがわれわれの基本的スタンス。方向や計画を変えることは全く考えていない」と開催の方針を改めて強調した。
「安全で安心な五輪」の具体策を示さないのは、
天皇陛下万歳や大東亜共栄圏と同じ、
ふわふわの抽象だ。
目的があり、それに理屈を後付けしようとしているな?
理屈は抽象ではない。具体だ。
その具体をもって議論するのが議会制だろう。
このようなトップの暴走を止めるために民主主義が生まれたはずだ。
これじゃ帝国主義じゃないか。
なるほど、こうやって太平洋戦争に負けたのだな。
司馬遼太郎は生涯のテーマを、敗戦にしようとしてたらしい。
そのために小説家になり、
それを書こうとしたのだが、
調べれば調べるほどアホらしくなり、
ついに書かなかったという。
日露戦争物語まででやめてしまったのだそうだ。
組織論は、人間のひとつのテーマである。
人間は愚かだが、
人間の組織はもっと愚かかも知れない。
森の動機は何か?
何かを隠してなければ、
抽象論を強弁し、恫喝に及ぶとは思えない。
あるいは、抽象論でしか話せない馬鹿なのかも知れない。
誰も安全安心な五輪が出来ると思っていない。
全選手コーチ団にコロナ検査を義務付け、
二週間隔離してから入国させ、
出国時も同様にして、
無観客試合とすれば、
全員が安心できる安全な五輪である。
現実論としてこれは出来ないとすると、
どこまでをやるかが問題になる。
どこに穴が開き、どこから漏れて拡散するかはわからない。
五輪が終わって世界に散ったあとに分かるだろう。
その安心安全性に対して、出場者ボイコットがあり得るかも知れないね。
選手のピークを惜しむ舛添の論もへんだ。
今まで五輪は何度も中止している。
延期にするだけマシだと思うがね。
このようにして、
目的を隠したまま、理屈で闘うのが政治だとしよう。
こんな熱い人間ドラマねえぞ。
外敵は、内部の理屈など知らない。
それだけは真実だろう。
2020年03月12日
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