ストーリー内の誰かの期待に応えなくても良い。
人生には、誰かの期待に逆らうことで生きることも沢山ある。
応えるべき相手は、観客である。
もちろん主人公が、
「私は主人公としてふさわしいか、
観客の○○の期待に応えているか、
これで応えたことになっているか」
と悩んだり、チェックする必要はない。
正確にいうと、
作者がそれをチェックして、
そうなるように、
作者が自然に誘導しなければならない。
作者は豆を巻くまではできる。
ついばむのは主人公だ。
もちろん、露骨な豆まきはご都合主義だ。
つまり、自然な流れで主人公が行動するように、
全部の流れをコントロールしなければならない。
ここでこいつがこういうことを言ってくれたらなあ、
ここでこいつがこれをやってくれたらなあ、
という空気を感じて、
それを達成するべきだ。
これの真逆の最悪は、
「主人公が行動したり発言すると滑るから、
それを恐れて主人公はなにもしない」だ。
それは周りがお膳立てしたメアリースーを呼ぶだろう。
このとき、
滑るとか失敗は、僕は歓迎だと考えている。
期待に応えることとは、
「発言すること」「行動すること」までであり、
滑ったり失敗してもいいと思うのだ。
言い出しっぺを買って出て、
最初に呼び水になってくれる人を、
人は尊敬する。
そして最終的に成功さえすれば、
途中の失敗や滑りは、むしろ必要だったと思われるだろう。
理想の面白いストーリーだったら、
この主人公はここでこうするだろうな、
ということを常に観客目線で見ていよう。
それを感じたら、
滑ったり失敗したとしても、
主人公に動いてもらうような状況を整えよう。
動かないより百倍ましだ。
それが一回書けたら、
状況が整ってなくても、
やらなければならないなら、
リスクがあってもやる主人公にリライトしてみよう。
受けではなく攻めにする。
そうすると、ストーリーにグルーヴが生まれ出す。
ストーリーのグルーヴはつまり、
主人公がつくり、
観客の期待がつくる。
2020年03月12日
この記事へのコメント
コメントを書く