2020年03月14日

全てを一端主人公にやらせる

問題解決に必要な、あらゆることを、
主人公が突破するシナリオを、まずは書けるか?


これによって、
なぜ主人公がそこまでしてやらなければならないのか、
それをやり切ることにどのような社会的意義があるのか、
(つまり個人の勝手ではなく、褒められたこととして存在する意味)
問題が何段階あるか、
それをどうやって見事に解決するのか、
という、
背骨に必要なことが全部組めることになる。

まずこれができていない限り、
ストーリーは背骨がどこか足りなくなる。
それはつまらん話ということだ。


ところで、
「全部を主人公がやってしまう」が、
現実世界ではリアリティがない。
人間は失敗するし、ミスも犯す。
完璧でなく、得意不得意がある凸凹した存在だ。
だから、誰か他の人が適任な時もあり、
それはそのキャラクターに任せてもいいかもしれない。

主人公がやろうとしていることが、
社会的に意義があることならば、
必ず味方は現れる。
味方が増えることは、主人公がやろうとしていることが、
正しいということの証明でもある。

また、情で味方することもある。
これは、主人公への感情移入が深くできていると、
うまくいく。
理でなく情で動いても、感動はあるものだ。


だから、
「全部を主人公がやってしまう」
という背骨の主語を、
適宜主人公以外に割り振れば、
それは豊かな物語になるわけであり、
これが完成したスタンダードなストーリーの形だ。


背骨のできていない状態で他のキャラを描くと、
「主人公を動かすのが怖い」になり、
他のキャラが全部やってしまうストーリーになりがちだ。
これをメアリースーというわけだ。

つまり、
そもそも主人公がすべて一人で解決するストーリーを、
最初に無理なく矛盾なく考えつき、
それから味方を増やして横幅を増やしていく、
という方法が、
もっもと「ただしい」作り方ではないか、
というのが本題だ。

すべては主人公の決断と行動である。


ご都合を避けるために、時々チェックされたい。
posted by おおおかとしひこ at 21:17| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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