問題解決に必要な、あらゆることを、
主人公が突破するシナリオを、まずは書けるか?
これによって、
なぜ主人公がそこまでしてやらなければならないのか、
それをやり切ることにどのような社会的意義があるのか、
(つまり個人の勝手ではなく、褒められたこととして存在する意味)
問題が何段階あるか、
それをどうやって見事に解決するのか、
という、
背骨に必要なことが全部組めることになる。
まずこれができていない限り、
ストーリーは背骨がどこか足りなくなる。
それはつまらん話ということだ。
ところで、
「全部を主人公がやってしまう」が、
現実世界ではリアリティがない。
人間は失敗するし、ミスも犯す。
完璧でなく、得意不得意がある凸凹した存在だ。
だから、誰か他の人が適任な時もあり、
それはそのキャラクターに任せてもいいかもしれない。
主人公がやろうとしていることが、
社会的に意義があることならば、
必ず味方は現れる。
味方が増えることは、主人公がやろうとしていることが、
正しいということの証明でもある。
また、情で味方することもある。
これは、主人公への感情移入が深くできていると、
うまくいく。
理でなく情で動いても、感動はあるものだ。
だから、
「全部を主人公がやってしまう」
という背骨の主語を、
適宜主人公以外に割り振れば、
それは豊かな物語になるわけであり、
これが完成したスタンダードなストーリーの形だ。
背骨のできていない状態で他のキャラを描くと、
「主人公を動かすのが怖い」になり、
他のキャラが全部やってしまうストーリーになりがちだ。
これをメアリースーというわけだ。
つまり、
そもそも主人公がすべて一人で解決するストーリーを、
最初に無理なく矛盾なく考えつき、
それから味方を増やして横幅を増やしていく、
という方法が、
もっもと「ただしい」作り方ではないか、
というのが本題だ。
すべては主人公の決断と行動である。
ご都合を避けるために、時々チェックされたい。
2020年03月14日
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