2020年03月17日

【薙刀式】より早く終わらせるのか、より沢山書くのか

配列の効率化(や自作キーボードの視覚的デザイン以外の)
の目的を、どこに置くべきか。
二通り大きくあって、それによって議論が変わるのではないかと思った。


ひとつは、
「タイピングの純粋作業部分はさっさと終わらせて、
漢字変換や文をそもそも考えることに時間を使いたい」派だ。
あるいはさらに極端にいうと、
「テキスト書きなどさっさと終わらせて、
別の仕事に時間を回したい」
という人もいるだろう。

そうした人にとっては、
純粋に短期的な速度が指標になると思う。

仮に配列変更などで速度が倍になったとする。

8時間働くとして、
テキストに4時間かけていたのを、
2時間で終わらせられるなら、
残り6時間を別のことに使える、
という効率化だ。


もう一方は、
「早く書けるようになるなら、
それだけ沢山書ける」派があるように思う。
一日4時間書いてた量が、
速度が倍になったことで、
倍書けるという効率化だ。

僕はこっちの考え方で配列を見ていることは、
これまでの立場からも分かるかと思う。


そもそも、
「思ったことが書く前に蒸発してしまうから、
書く速度を上げたい」という意味での高速化は、
1000文字(変換後)/10分あたりまでいけば、
ほぼ問題なくなると思われる。

瞬間速度だと2000くらいは出るし、
思うことの量は、30分書き続けられるほど出てこないものなので、
1000行けるようになれば、
困ることはないと思う。

これをクリアしたその先、
「速さ」とか「楽さ」などの指標で評価されてきた配列たちは、
「結局どの指標で効率化になるのか」
の議論がされてないのではないかと思ったのだ。


たとえば蛇配列のなっとさんは、
一日何十通もの業務メールを書くらしく、
それを捌くのに蛇配列が役立っているらしい。
おそらく一日あたりの量が倍にならないだろうから、
速度が倍になった方が効率化の目的なのではないか。

いろは坂のめんめんつさんは、
とにかくタイパー的に速くなりさえすれば、
あとはいかようにでもなるだろうという暴論だが正論で、
速度追求をしている。
これも、速度を倍にしていこう、と考える派閥に見える。


量を倍にして行こうぜ、
と考える配列は、
薙刀式以外にあるのかしら。

親指シフターは楽を強調する傾向にあるが、
二倍楽だから二倍書けるようになったよ、
ということではなくて、
「同じ量の文章を書くときの楽さ」
について語っているように思える。

飛鳥も似た傾向だろうか。
楽がゆえに結果文章が長くなる、
という現象はあったが、それは個人の資質のような気もするので、
倍書くために労力を1/2にすることを目指すのだ、
という設計方針ではなかったように思う。


薙刀式は、
とにかく思うことをパッと書きたいという第一目標を、
カタナ式で達成できたので、
今度はローマ字の手間を1モーラ1アクションで済ませたい、
という楽さや、
アルペジオは速くて楽だとか、
内側指の方が楽で速いとか、
そうしたことを追求してきたが、
それってそもそも、
「同じ労力でもっと書きたい」
ということが根本にあったように思う。

実際、一日で集中して書ける時間は大体決まっていて、
8時間も集中できない。
精々4時間だ。

僕はその限られた時間で、精度の高い文章を、
沢山書きたいのではないかと思ったのだ。

で、これって、
これまでの配列が目的としてない所へ、
行こうとしてるのではないかと思ったわけで。

爆速化したから沢山書こうと言ってるのは、
ブロガーくらいかなあ。


「なんのために速くなるのか?」
には二つある説。
「さっさとタイピングを終わらせるため」と、
「無限にタイピングするため」と。

僕の立場は後者だな。
でもさっさとメール書くときにも薙刀式使うので、
どちらかしかないわけでもないと思う。
posted by おおおかとしひこ at 03:39| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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