配列の効率化(や自作キーボードの視覚的デザイン以外の)
の目的を、どこに置くべきか。
二通り大きくあって、それによって議論が変わるのではないかと思った。
ひとつは、
「タイピングの純粋作業部分はさっさと終わらせて、
漢字変換や文をそもそも考えることに時間を使いたい」派だ。
あるいはさらに極端にいうと、
「テキスト書きなどさっさと終わらせて、
別の仕事に時間を回したい」
という人もいるだろう。
そうした人にとっては、
純粋に短期的な速度が指標になると思う。
仮に配列変更などで速度が倍になったとする。
8時間働くとして、
テキストに4時間かけていたのを、
2時間で終わらせられるなら、
残り6時間を別のことに使える、
という効率化だ。
もう一方は、
「早く書けるようになるなら、
それだけ沢山書ける」派があるように思う。
一日4時間書いてた量が、
速度が倍になったことで、
倍書けるという効率化だ。
僕はこっちの考え方で配列を見ていることは、
これまでの立場からも分かるかと思う。
そもそも、
「思ったことが書く前に蒸発してしまうから、
書く速度を上げたい」という意味での高速化は、
1000文字(変換後)/10分あたりまでいけば、
ほぼ問題なくなると思われる。
瞬間速度だと2000くらいは出るし、
思うことの量は、30分書き続けられるほど出てこないものなので、
1000行けるようになれば、
困ることはないと思う。
これをクリアしたその先、
「速さ」とか「楽さ」などの指標で評価されてきた配列たちは、
「結局どの指標で効率化になるのか」
の議論がされてないのではないかと思ったのだ。
たとえば蛇配列のなっとさんは、
一日何十通もの業務メールを書くらしく、
それを捌くのに蛇配列が役立っているらしい。
おそらく一日あたりの量が倍にならないだろうから、
速度が倍になった方が効率化の目的なのではないか。
いろは坂のめんめんつさんは、
とにかくタイパー的に速くなりさえすれば、
あとはいかようにでもなるだろうという暴論だが正論で、
速度追求をしている。
これも、速度を倍にしていこう、と考える派閥に見える。
量を倍にして行こうぜ、
と考える配列は、
薙刀式以外にあるのかしら。
親指シフターは楽を強調する傾向にあるが、
二倍楽だから二倍書けるようになったよ、
ということではなくて、
「同じ量の文章を書くときの楽さ」
について語っているように思える。
飛鳥も似た傾向だろうか。
楽がゆえに結果文章が長くなる、
という現象はあったが、それは個人の資質のような気もするので、
倍書くために労力を1/2にすることを目指すのだ、
という設計方針ではなかったように思う。
薙刀式は、
とにかく思うことをパッと書きたいという第一目標を、
カタナ式で達成できたので、
今度はローマ字の手間を1モーラ1アクションで済ませたい、
という楽さや、
アルペジオは速くて楽だとか、
内側指の方が楽で速いとか、
そうしたことを追求してきたが、
それってそもそも、
「同じ労力でもっと書きたい」
ということが根本にあったように思う。
実際、一日で集中して書ける時間は大体決まっていて、
8時間も集中できない。
精々4時間だ。
僕はその限られた時間で、精度の高い文章を、
沢山書きたいのではないかと思ったのだ。
で、これって、
これまでの配列が目的としてない所へ、
行こうとしてるのではないかと思ったわけで。
爆速化したから沢山書こうと言ってるのは、
ブロガーくらいかなあ。
「なんのために速くなるのか?」
には二つある説。
「さっさとタイピングを終わらせるため」と、
「無限にタイピングするため」と。
僕の立場は後者だな。
でもさっさとメール書くときにも薙刀式使うので、
どちらかしかないわけでもないと思う。
2020年03月17日
この記事へのコメント
コメントを書く