マラソンライティング、
またはノンストップライティングについて、
薙刀式の項で少し書いたが、
脚本論としてもすこし書いておく。
自動書記や憑依という現象について。
誰もが、こうした現象を経験している。
次々に書くことが生まれて、
まるでだれか別の人に書かされているように思うような、
憑依状態の感じを。
キャラクターが勝手に行動して、
思っていたのと違う展開になってしまったとか、
用意していた結末よりずっといいものになったとか、
途中の展開で神アイデアが出てきたとか、
そういった経験だ。
あるいは書いても書いても出てくるので、
ただ記録するだけで精一杯、なんて状態。
なぜこういったことが起こるのか考えると、
トランス状態になるからではないかと思う。
トランス状態に関する研究などほとんど進んでいないと思うが、
定義的に言うと、
我々の顕在意識がある状態と、
眠って意識不明になった状態の間の状態、
と広く定義されている。
たしかに、モノを書く時の意識状態は、
普通の意識状態ではない。
あちらの世界に意識を飛ばして、
この世の常識やしがらみなどを飛ばした、
あちらの都合や事情でものを考えている。
だからこそ現実逃避になったりして、
サラリーマン作家の精神のバランス調整にいいと僕は考えている。
一種の箱庭治療になっていると。
書いているときだけではない。
ゲームに夢中になっているときとか、
読書に夢中になっているときとか、
そうした「夢中」状態になっているときは、
軽くトランスになっていると思う。
仕事でやらないといけないこととか、
人間関係のあれこれとか、
そういった現実のことは忘れているからである。
それは通常の精神状態ではないわけだ。
書く時も同じで、
通常の精神状態ではないと思う。
もちろん業務上のメールとか、
硬いものを書く時は通常の精神状態だと思うが、
もうすこし架空のものを書く時は、
あっちの世界に行ったままやっているのではないだろうか。
夢を見ているときに近いというか。
マラソンライティングという鍛え方がある。
10分間、もしくは20分間、
無呼吸走をする。
つまり、一度も筆を止めずに書く、
というルールで書く。
内容は物語でもいいが、難易度が高いので、
ブログとか、思っていることとか、日記がよい。
次第に書くことが無くなってきたら、
「書くことがない、目の前にはバスが通っていて、赤い。
それが停車した。
赤いと言えば、その前を赤いブルゾンの人が通り……」
などの目の前に見えているものを書きつづけても良い。
これはどういうことの訓練になるかというと、
トランス状態を作りやすくする訓練なのだ。
トランス状態を意識側から起こしていくことが、
普段の執筆だとすると、
手でトランス状態を覚えておく、
ということがノンストップライティングの目的だと、
僕は考えている。
その状態を手で覚えているならば、
その速度で書き続けることが、
トランス状態にすぐに入れるようになるということ。
この時物語世界に十分入っていれば、
憑依がおこりやすいと僕は考えている。
つまり、手の速さという、依り代を作っておくんだね。
注意すべきは、
憑依が起こったあとの原稿を見返す時で、、
パワーはあるのだが、
歪んだ感覚になっていることが多い。
ご都合とか、無理があるとか、破綻があるとか。
それを理性で判断して、
よりよき原稿に仕上げていくことが、
リライトの仕事かもしれない。
情熱と冷静の間で、原稿は出来上がる。
憑依状態、降りてくる状態は、
ひとつの原稿で一回程度しかないと思う。
そんなに何回もない。
それを大事にしつつ、
いざ来たら、大量に書けるように、
手を鍛えておくことは、
やっておくべきことだと思う。
それに手を慣れさせるために、
マラソンライティングはとても役に立つ。
僕は手書きを推奨する。
900字/10分くらい書けたら、
タイピングは必要ない。
薙刀式ならもう少し早く書けるが、
漢字変換不要の手書きのほうが文そのものに触れられるので、
トランス状態になりやすいと考えている。
タイピングはコンドームみたい。
生がいい。
2020年03月17日
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