2020年03月18日

サブテーマも落ちを迎えているか

沢山の登場人物がいる話の場合、
主人公のメイン事件が解決して、
メインテーマにきちんと落ちていたとしても、
他の人物のサブテーマが落ちていない場合がある。


それは単純に作者の力量不足で、
「メインテーマと落ちに手一杯」
だからにすぎない。

表面上の現象としては、
「あの人はその後幸せになれたのかなあ。
描かれてないけど」
「あの人をもう少し掘り下げて欲しかったな」
という印象が起こると思う。

観客というのは贅沢なもので、
メインテーマとメイン事件の見事な解決を見たあとでさえ、
このようなことを求める。

メインディッシュのあとに、さらにデザートを求めるようにだ。
肉だけじゃなく、ワインもスイーツも欲しがるものである。
ついでに軽妙なトークやそのあとの暗いバーもか。

つまり、
「あの人はなんだったのか」が気になるのだ。

あの人はどういう(メインに比べて)小さな問題を抱えていたのか、
その人はメインの事件解決後、それを解消できたのか、
を、
各登場人物についてチェックするとよい。


小さい問題を抱えているべきだと思う。
物語の登場人物の魅力とは、
問題を抱えていることではないかと思う。
悩みのない人間はいない。
いたとしたら、天国の人間で、
それはエンディングのときだけだ。
つまり、ストーリーのエンドとは天国に行く時間帯のことだ。
大袈裟にいうと、成仏こそがエンディングである。

メイン事件の解決と関係なく、
勝手にどこかで解決していることもある。
しかし本当は、
「主人公の解決したメイン事件によって、
連鎖的に解決する」のがベストだ。
ずっと大問題だったものが解消されたことによって、
その人の問題が洗い流されたりすればよい。

クライマックスでそれがやり切れない場合もある。
そのあと、まだ小さな後日談を描く時間は少しあるので、
そこで描いてもいい。

大解決のあと、
後日談で、
「ぼくたち結婚することになりました」「ええーっ」
という場面があることがよくあるが、
これはその代表だということがわかるだろう。
大解決を目指すメインストーリーの中で、
脇の人物同士の恋愛というサブストーリーがあり、
「色々解決して落ち着いたので、
ラブストーリーも結末を迎えたくなった」ということで、
これは大解決ゆえにサブテーマも実現したという、
連鎖だと思う。

たとえば、
渋滞が解消したので、
踏切問題もなくなり店が上向きになった、とか、
トイレの修理ができたとか、
父に会って挨拶できたとか、
そういう連鎖的に幸福になることが、
「あの人はその後どうなったのだろう」
を防ぐことになるだろう。


勿論これは付帯的なことで、
そもそもメインストーリーが見事に解決してなくて、
メインテーマがビシッと決まってないと意味がない。

その上でデザートをチェックしなさい、ということである。


男が女を落とすラブストーリーだとしたら、
男の主人公のメインテーマが解決したとしても、
そのヒロインの個人的問題も解決するべきだと思う。
連鎖的、でいうと、二人が付き合うことが、
彼女の個人的問題を解決しなければならないわけだ。
それをやらないから、
「女が描けていない」に陥ることは良くあるだろう。
posted by おおおかとしひこ at 10:09| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。