2020年03月18日

専門用語を使わなくなったとき、自分の感覚になる

医療崩壊なんて専門用語を使わずに、病院がパンクと言えばいい。
アルペジオなんて専門用語を使わずに、片手で連続撫で打ちみたいに言えばいい。
「二人の意識を溶け合わせて操縦する」を「ドリフト」と日常語で言い換えた、
パシフィックリムのように。

脚本を書くときも同様だ。


最初はターニングポイントとか、
三幕構成とか、
専門用語に気をつけて書いていくものだ。

構成ってなんだ、プロットってなんだとか。

焦点とかテーマとかキャラとか設定とか、
目的とか動機とか伏線とか。

そうしたことを使えるようになってくる、
身に付けられたら、
それらは日常の一部になる。

つまり、
「パッとやってシュッとやる」みたいな言葉になる。
天才・長嶋茂雄のバッティング理論のようにだ。


教えるのがうまい人は、
普通にはない独特の感覚に言葉を命名して分離し
(専門用語)、
それらを組み合わせて仕組みを示す。

でもそれをマスターしてしまったら、
それは日常に溶け込んでゆく。


知らない概念を専門用語で振り回しているうちは、
まだそれをマスター仕切っていない証拠で、
バットを振るだけでホームランが打てるようになったら、
専門用語はいらなくなる。

イチローはそれを日常語でなんとか表現しようとした人で、
でも独特の感覚にまで辿りついてないから、
僕らはなんのことかピンとこない。
(野球をやる人にはわかるかも)


僕が専門用語を使うときは、
なるべくこれは独特の概念であるから理解しておいた方がいい、
というときだ。
それらを使って色々やってるうちに、
身につくだろう、と期待してのことだけど。

だから、
身についている人が身についていない人に話すのは、
日常語じゃない方がいいと思う。
身についた人同士が喋るときは、日常語で喋るだろう。

たとえば医者同士の会話は、
そんなに専門用語使わないと思うんだよね。
間違えちゃいけないところだけ専門用語使って、
あとは日常語か略語で済ますと思う。

よく脚本の中で専門用語バリバリの会話をさせていることがあるけど、
あれは嘘だな。

人は日常のことを日常語で喋ると思うよ。


独特の文化だけをうまく切り取って描き、
あとは日常に埋もれる。
そういうふうに専門家を描けると、
それらしくなると思う。
posted by おおおかとしひこ at 12:03| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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