それはあくまで、観客としての印象でしかない。
作者からすれば、巧妙に何気なく見せているわけで、
見逃しつつ忘れられてはならないような、
最新の注意が払われているわけで。
で、
何故何気ないものが伏線になるか、
というもっと深いところを掘ってみよう。
それは、
「人は、何気ないものからヒントを得る」
からではないかと考える。
まさかオルファのカッターが、
板チョコからヒントを得るとは、
誰も思わない。(折れる刃の発明)
液体爆発燃料を粘土に染み込ませれば、
振動で爆発しないとは誰も思わない。
(ダイナマイトの発明)
何気ないチョコや粘土がヒントになるとは、
あとになってみないと分からない。
人は、
発言した内容を生かして考えることが多いと思う。
だから、
最初の方に発言した内容がヒントになり、
あとあとのことを解決することが、
とても多い。
これが伏線の構造の根本ではないかと思うのだ。
プロットを書けと僕はよく言うが、
つまりはこれを事前にやっておけ、
ということでもある。
特に前半部分は何気ないことを書いていくしかないから、
その辺の何かを利用して、
あっという伏線とその解消を作れるわけだ。
一個出来ればしめたもので、
その何気ないものを何気ない別のものに紛らわせたり、
他の何気ないものを削って、
わかりやすく目立たせておいたりと、
コントロールすることが可能になるというものだ。
何気ないものがABCDEと並んでいて、
Cが伏線のとき、
DEを捨ててABCにした方がいいか、
ACだけにした方がいいか、
あるいはXYCZにした方がいいか、
その何気なさや目立ち方によるだろう。
そうした調整を、執筆時、リライト時にやっていくわけだ。
つまり、
「何気ない伏線が驚きの結末に!」
という構造は、
とても慎重にコントロールされた、
人の無意識だということが出来ると思う。
だから面白いし、難しいのである。
2020年03月19日
この記事へのコメント
コメントを書く