2020年03月19日

何気ないものが伏線になっているわけではない

それはあくまで、観客としての印象でしかない。


作者からすれば、巧妙に何気なく見せているわけで、
見逃しつつ忘れられてはならないような、
最新の注意が払われているわけで。


で、
何故何気ないものが伏線になるか、
というもっと深いところを掘ってみよう。

それは、
「人は、何気ないものからヒントを得る」
からではないかと考える。

まさかオルファのカッターが、
板チョコからヒントを得るとは、
誰も思わない。(折れる刃の発明)
液体爆発燃料を粘土に染み込ませれば、
振動で爆発しないとは誰も思わない。
(ダイナマイトの発明)

何気ないチョコや粘土がヒントになるとは、
あとになってみないと分からない。

人は、
発言した内容を生かして考えることが多いと思う。
だから、
最初の方に発言した内容がヒントになり、
あとあとのことを解決することが、
とても多い。

これが伏線の構造の根本ではないかと思うのだ。


プロットを書けと僕はよく言うが、
つまりはこれを事前にやっておけ、
ということでもある。
特に前半部分は何気ないことを書いていくしかないから、
その辺の何かを利用して、
あっという伏線とその解消を作れるわけだ。

一個出来ればしめたもので、
その何気ないものを何気ない別のものに紛らわせたり、
他の何気ないものを削って、
わかりやすく目立たせておいたりと、
コントロールすることが可能になるというものだ。

何気ないものがABCDEと並んでいて、
Cが伏線のとき、
DEを捨ててABCにした方がいいか、
ACだけにした方がいいか、
あるいはXYCZにした方がいいか、
その何気なさや目立ち方によるだろう。
そうした調整を、執筆時、リライト時にやっていくわけだ。


つまり、
「何気ない伏線が驚きの結末に!」
という構造は、
とても慎重にコントロールされた、
人の無意識だということが出来ると思う。

だから面白いし、難しいのである。
posted by おおおかとしひこ at 11:07| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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