2020年03月19日

【薙刀式】キーボード側に配列はいると思う現象

親指シフトキーボードは、キーボード内に親指シフトが入っている。
エミュレータは、本体の中に入って、qwertyを親指シフトへ変換する。
qmkは、自作キーボードの中にいて、配列を定義する。

キーボードの中に配列がいると思い込むのは、
見た目の印字のせいかしら?


キーボードを自作してみるとよくわかるのは、
キーボードはキーコードを出力しているだけ、
ということだ。
定められた信号を出力しているのみで、
定められていないキーコードは出せない。
たとえば全角○とか。
(これがゆえにqmk薙刀式では実装に大変な苦労があるのだ)

だから本当に思った配列を実装するなら、
キーボード側ではなく、
本体側に入れるのが妥当なのだ。
qwertyをどう受け取れば何に対応するかを、
OSに渡す媒介物として配列があるようにすれば良い。

本体側に配列がいると、
その本体にどんなqwertyキーボードを挿しても使える。
キーボード側にいると、
そのキーボードをどの本体に挿してもその配列が使える。

で、我々の直感に近いのは後者なんだよね。


ペンは変えずに紙やメモ帳を変える、
というアナロジーなんだろうかね。
触っているまさにこれがその配列である、
なんて思いたいのかもしれない。

配列の印字があるキーキャップが欲しくなってしまうのも、
その本能的な部分を満足させるのだと思う。
実用上は無刻印が合理的にも関わらず。
あるいは、
qwerty印字しかないキーキャップを使いながら、
キーマップを変更しまくると気持ち悪いから、
キーマップ通りの印字キーキャップがないかなあ、
と探したりする現象もそうだろう。
自キを初めて見た人が「○○キーはどこですか?」と聞く現象も。
(キーマップ変えてるので印字通りじゃないし、
キーマップ通りの印字のキーキャップがないので仮なんですよ、
と毎回説明してる自キ勢のみなさんおつかれさまです)


配列は指にいる、
という感覚かもしれないね。
感覚的には、
その配列のキーキャップをキーボード本体にはめれば、
その配列が使える、というのがもっとも直感的かも知れないなあ。

ということで、
やはり薙刀式の印字付きキーキャップを作りたくなってきた。
3Dプリントだと彫りかエンボスで表現するしかないので、
浅いのが出来る素材(MJFで0.5mmまで許容だっけ)
で作らないとなあ。でもそれが撫で打ちに邪魔という説もある。
無刻印は無刻印でスタイリッシュなのだが、
印字付きは華やかだ。
実用上は展示用キーキャップでしかないが、
「指は配列にいる」という感覚のために、
作ってみてもいいかもと思い始めている。


配列はどのへんにいるのだろう。
人間側で考えると脳内なのだろうが、
やはり手や指に宿っている感じがする。
運動記憶だからかなあ。

脳とPCの接触点に配列がいる気がするので、
やはり指とキーが触れる、
その接点が配列なのだろうか。
posted by おおおかとしひこ at 10:30| Comment(2) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私が、いつも、3424340番さんと呼ばれていたりしたら嫌だな。
XX県YY市の24340番さんとか、嫌だよな。
ホールの座席表みたいに、刻印のかわりにA-8(キーコードはそういうものだが)とか。
便利かもしれないけど嫌なんですよね。
入院中、番号だけで看護師さんに呼ばれたらいやだ。

実体を求めるというよりは愛を求めるというか…
そういうことは作家さんが一番考えていると思うから、お聞きしたいですね。
Posted by せき at 2020年03月19日 20:06
>せきさん

文字というものは結局は媒介物にすぎないので、
意味のほうが大事だと僕は考えています。
で、自分の中の意味の境目が、指先あたりではないかと。
その先、キーキャップから画面の印字、そこから誰かが読んで脳の中で意味になるまでは、
僕の預かり知らないところで行われていて、
自分の責任が取れるのが自分の指まで、
という意識ですかね。

なので、薙刀式やカタナ式は、指にいる気がします。
ペンだと、ペン先まで自我の一部ですが。
Posted by おおおかとしひこ at 2020年03月19日 22:50
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