2020年03月19日

映画の宣伝には三種類ある

・キャスト
・枠組み
・ストーリー


・キャスト
まったく誰も知らない人ばかりより、
知ってる人がいた方が安心するのは、
パーティーでも映画でも同じである。
人は初めましてに弱い。
でも同じやつだと飽きちゃってるから、彗星のような新人も見たい。
しかしギャンブルするのはアレだから、安心したい。
ということで、
「かつて見た奴で良かったキャストを見る」
のは、ひとつの保険だ。

もっとも、前良かったのは脚本や監督の力かも知れないので、
その役者の力である保証はなにもない。
むしろ、役者はホン次第でいかようにも化けることは、
ドラマ風魔を見ればわかる。

で、最悪、「あの人のファンだから」と言って見る人がいる。
良いホンだろうが悪いホンだろうがそれは偶然に過ぎず、
とにかくあの人に会えれば良しとするパターンだ。

僕はこの層を、映画宣伝側が当てにしすぎたせいで、
映画のマーケティングが歪んでしまったと考えている。
だからファンには、「こんなクソみたいなホンにあの人を出さないで」
とブーイングして欲しいのだが、
「うるさいファンがいるからこのキャストは使えない」
と判断されるのが怖いのもわかる。
しかし、そう判断するのは、
「クソみたいなホンだけど、あいつなら断らないだろ」
と安売りを強要するプロデューサーだぜ。
そんなやつを撲滅するためには、
僕はファンはブーイングしていいと思っている。
それも、エンドロールに入った直後でいいと思う。
正直な感想は、そこで一番ピークだからだ。

キャストはだから広告塔の役目を果たさざるを得ず、
どさ回りさせられる人たちはかわいそうだなあと思う。
泊まりなら飯を楽しみにできるが、日帰りはきつい。

こんなことをやってる暇があったら、
もっと有用なことに力を使うべきで、
それはものづくりに真摯に取り組むことだと思うよ。


ということで、
これはあくまで最後の要素であるべきで、
「このキャストが出るなら安心だろう」
というブランド印くらいでしかないと、僕は考える。

僕は知らない人が出てるほうが、
ストーリーに集中できるとは思う。
余計な文脈を思い出してしまうので。
でも話が面白ければ、麻薬やってようが不倫してようが関係ないが。
話が面白くないから、余計な文脈を思い出すのかも。
5分ぐらいで「その芸能人」が消えて、
「その役」にならないとアウトだね。
アウトだから、芸能人を売りにして…という負の連鎖は、断ち切ったほうがいいと思う。


・枠組み
「○○賞受賞」とか、「○○原作」とか、
「○○のスタッフ集結」とか。
キャストも枠組みも、
1秒で見なければいけない情報の時は有用だ。
我々は多くの情報に囲まれていて、
1秒で見ていらなそうなら捨てないと、死んでしまう。
つまり、枠組みやキャストは、
僕はパンチラでしかないと考えている。

失敗するのが怖いったって、たかが二時間1900円。
ちょっといい飯食うのと変わりない。
人生はトータルで成功すればいい。
日々の失敗はカウントしない。
クソみたいな映画を見たら、
いい映画はどういうものかわかる。
いい映画とクソ映画の違いがわかるようになったら、
クソ映画はゴキブリのように潰すべきだということがわかるしね。

つまり、枠組みは1秒で伝えるブランド保証でしかない。

枠組みもキャストも、
本来見るものの、何も伝えていないのだ。


・ストーリー
そしてこれが、娯楽の内容のはずである。
僕は、下手な映画の宣伝が、
これをないがしろにして枠組みやキャストに偏重していることを、
大変憂慮している。

それはそもそも面白いストーリーが少なく、
クソ映画を誤魔化して売るしか方法がない、
現状にも問題はあるとは思う。
だから予告編詐欺が横行するわけだ。

しかし、「とてもいいストーリーをとても良くプレゼンする」
という実力がないため、
本来届けるべき層に届け切れていないことが、
僕は映画への侮辱だと考えている。
「いけちゃんとぼく」の予告編とかね。
(僕に拒否権や改定権はなかったどころか、
出来たものをいきなり見させられた)

ストーリーを上手にプレゼンすることは大変難しい。

それは、「ストーリーとは何か」が分かっていないと出来ないからだ。
ただでさえ、名作のあらすじを上手く書ける人はなかなかいない。


ストーリーを端的にネタバレなく紹介するには、
センタークエスチョンに興味が持てるかどうかだと思う。
あるいは、陥った脱出するべきシチュエーションに興味が持てるかとか、
「興味も関心もない他人なのについ感情移入してしまう」も関係がある。
感情移入については、前から議論している通り、
「年齢や立場が似てるからしてしまう」のは「共感」にすぎず、
「年齢や立場も違うのに、感情移入してしまう」が理想だ。
これがうまく行っているシナリオならば、
その端緒を見せて、ヒキとした方がいいだろう。

ネタバレについては、二幕以降がバレなければいいと僕は考えている。
一幕は所詮セットアップだ。

ただし、どんでん返しの伏線になるような重要な箇所は、
事前に見せないほうが得策だろう。

あとは、これがどのような満足を与えることができるのかという、
テーマ性に関わることをきちんと語るべきだと思う。
しかもネタバレなしで。

糸井重里のジブリの全盛期コピーはその役目を果たしていて、
全く違う言葉なのに本質を言い当てている。
ネタバレなしでのキャッチコピーの理想型だ。
(「わすれものを、とどけにきました。」
「落ちこんだりもしたけれど、私は元気です。」
の二つは最高。あとは微妙)

過去記事でタイトルはキャッチコピーであるべきと書いたが、
もしタイトルがそのようになっていればキャッチは不要だし、
出来ていなければ、
新しくキャッチを開発するべきだと思う。

これが一体どのような満足を与えるのか、
暗に言いながらネタバレなし、
という絶妙なコピーを書くことが、
宣伝部には求められている。
それが出来ないなら宣伝部なんて解体だろ。
(重ねて書くが、「いけちゃんとぼく」のポスターの、
完全ネタバレの長い長いキャッチコピーは最悪だ)

これは要するに、
「この作品がどのように世の中と噛み合うのか」
を示したものだからである。

結局、
ストーリーとは何かという理解と、
それをうまく言葉に乗せる力と、
両方が必要で、
それが出来ている宣伝なんてほとんどない。

だから、
最近僕は映画の宣伝などまるで信用していない。


本質的に面白いものをつくり、
本質的な宣伝をすれば、
届く層には届く。

まずそれが出来ていないから、
キャストが誰とか、「泣ける絵本No1」とか、
どうでもいい宣伝をして、バカを動かそうとするのだろう。


邦画の宣伝部はほとんど仕事をしてないと僕は思うよ。
映画監督になる前にまず宣伝部にいきたいわ。
posted by おおおかとしひこ at 16:44| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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