2020年03月20日

面白さとテーマの関係

面白さはいくらでもパターンがある。
それとテーマとの関係を考えよう。


実際のところ、
「面白いけど、物語上の面白さではないもの」
の方が下手したら多いかも知れない。

プチプチをつぶす行為がたとえばそうだろう。
自分のめっちゃ詳しいジャンルのウンチクとか、
好きな人の詰まらない話とか。

本人だけが面白いと思っていることもあれば、
プチプチみたいに万人が面白いこともある。

オープンワールドの探索は面白いが、
それは「自由度のある自分」が面白いのであって、
他人のそれが面白いわけではない。

また、悪いことも面白い。
体に悪いことも面白いし、
誰かをいじめる行為も、本質的には面白い。
(間違った)正義に酔うことすら面白い。


物語の中でこれらの面白いことを描くことが、
「面白い物語」だろうか?

一時は面白いかもしれない。
その刺激で満たされるからね。

ところが、
そのあとに冷めてくるのだ。
「これにいったい何の意味があるの?」と。


プチプチをつぶす行為は、
暇つぶしやストレス解消としての意味がある。
他にわざわざ手を出さず、
今あるこれを潰してるから面白いわけだ。
しかしある程度やったら、飽きて次へ行くだろう。
その時、
「このプチプチ潰しになんの意味があったか」
は問われない。
意味なき行為こそプチプチの意味だからだ。

ところが、
これを物語でやると、急に意味を問いたくなる。
それがなにかの伏線であったとか、
登場人物のストレス解消として意味があったとか、
実は重要な鍵であったとかだ。
それがあれば意味ある行為としてプチプチを見てられるが、
「ただ面白い行為だから面白い行為を見る」
は出来ないのである。

これはすなわち、
「物語の中で存在することには、
すべて意味があるべきだ」
ということである。


意味のない何かが存在している物語は?
あるよ。
たとえばジムジャームッシュの殆どの映画はそうだ。
この凄まじく詰まらない意味のなさに、
一度二時間付き合ってみるといい。

ナイトオンザプラネットは、
それでも全盛期のウィノナライダーが出ていて、
それを愛でる意味があるが、
ストーリー上の意味ではない。

ということで、
「面白いが意味のない」ことは、
結局つまらない。

「ちょっと面白かったが、
やっぱりつまらなかった」
という感想のタイプは、
こうした、
「意味はないが物語外では面白いこと」を、
描きがちなのではないだろうか。

ああ、たとえば出落ちもそうだよね。

バキの地下トーナメント選手入場のアナウンスは、
めちゃくちゃに面白い。
しかしそれは、本編の展開と関係のない、
芸として存在する面白さ(と期待感)に過ぎない。


あなたが、
面白いものを書いてるつもりなのに、
面白くないと言われたりしたら、
物語と関係のない面白さをただ書いてるだけかも知れない。


で、
物語の意味とは、
最終的にはテーマへと帰着する。
この結論へ寄与していない部分は、
物語では存在する意味がない。

物語の中で存在する全ての要素には意味がある。
それを一々説明できる必要はないが、
求められればいつでも出来るよね?

ただ面白いから書いただけでは、
なんの意味もないし、
それは面白くないのだ。
posted by おおおかとしひこ at 17:31| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。