面白さはいくらでもパターンがある。
それとテーマとの関係を考えよう。
実際のところ、
「面白いけど、物語上の面白さではないもの」
の方が下手したら多いかも知れない。
プチプチをつぶす行為がたとえばそうだろう。
自分のめっちゃ詳しいジャンルのウンチクとか、
好きな人の詰まらない話とか。
本人だけが面白いと思っていることもあれば、
プチプチみたいに万人が面白いこともある。
オープンワールドの探索は面白いが、
それは「自由度のある自分」が面白いのであって、
他人のそれが面白いわけではない。
また、悪いことも面白い。
体に悪いことも面白いし、
誰かをいじめる行為も、本質的には面白い。
(間違った)正義に酔うことすら面白い。
物語の中でこれらの面白いことを描くことが、
「面白い物語」だろうか?
一時は面白いかもしれない。
その刺激で満たされるからね。
ところが、
そのあとに冷めてくるのだ。
「これにいったい何の意味があるの?」と。
プチプチをつぶす行為は、
暇つぶしやストレス解消としての意味がある。
他にわざわざ手を出さず、
今あるこれを潰してるから面白いわけだ。
しかしある程度やったら、飽きて次へ行くだろう。
その時、
「このプチプチ潰しになんの意味があったか」
は問われない。
意味なき行為こそプチプチの意味だからだ。
ところが、
これを物語でやると、急に意味を問いたくなる。
それがなにかの伏線であったとか、
登場人物のストレス解消として意味があったとか、
実は重要な鍵であったとかだ。
それがあれば意味ある行為としてプチプチを見てられるが、
「ただ面白い行為だから面白い行為を見る」
は出来ないのである。
これはすなわち、
「物語の中で存在することには、
すべて意味があるべきだ」
ということである。
意味のない何かが存在している物語は?
あるよ。
たとえばジムジャームッシュの殆どの映画はそうだ。
この凄まじく詰まらない意味のなさに、
一度二時間付き合ってみるといい。
ナイトオンザプラネットは、
それでも全盛期のウィノナライダーが出ていて、
それを愛でる意味があるが、
ストーリー上の意味ではない。
ということで、
「面白いが意味のない」ことは、
結局つまらない。
「ちょっと面白かったが、
やっぱりつまらなかった」
という感想のタイプは、
こうした、
「意味はないが物語外では面白いこと」を、
描きがちなのではないだろうか。
ああ、たとえば出落ちもそうだよね。
バキの地下トーナメント選手入場のアナウンスは、
めちゃくちゃに面白い。
しかしそれは、本編の展開と関係のない、
芸として存在する面白さ(と期待感)に過ぎない。
あなたが、
面白いものを書いてるつもりなのに、
面白くないと言われたりしたら、
物語と関係のない面白さをただ書いてるだけかも知れない。
で、
物語の意味とは、
最終的にはテーマへと帰着する。
この結論へ寄与していない部分は、
物語では存在する意味がない。
物語の中で存在する全ての要素には意味がある。
それを一々説明できる必要はないが、
求められればいつでも出来るよね?
ただ面白いから書いただけでは、
なんの意味もないし、
それは面白くないのだ。
2020年03月20日
この記事へのコメント
コメントを書く