2020年03月20日

ワニが死にましたが

19時に更新されないまま、
という落ちのほうが面白かったなあ。
なるほどそういうことか、と思い始めていたら、
30分後にカフェの女子高生が「更新された」
って言い始めて最終回を見ることができた。


めっちゃ普通。
タイガーマスクと同じ最終回。はい解散。

「考察がすごい」って女子高生が言ってるが、
タイガーマスク見たことないだろうしなあ。
ラストカットはわたせせいぞう風味でしたね。


物語には、意味があると人は信じたい。
それは、人生に意味があると信じたいことと、
同じではないかと僕は考えている。

このワニですら、
「ヒヨコを助けて死んだ」
「それはとても綺麗な桜の咲く日で、
忘れられない一日だった」
と、意味を見出したい人によって、
意味づけられるわけである。

この「意味をつける機構」を利用したのが、
物語だと言える。

テーマはラストに決まる。

案の定、「かけがえのない日々を送ったやさしいワニ」
の無難エリアへ落としたか。

僕は「死とは更新されないこと」へ落として、
100話目が更新されない、
という落ちのほうが現代的でいいと思ったがね。


こうして、ラストでようやく意味が決まるのだ。
プロットをラストまで書かないストーリーなんて、
ありえないぜ。

このワニの物語は、
プロットで出されたら平凡すぎて却下となっただろう。
「100日間、狂騒状態を作り出す」
という意図であれば成功したことだが、
狂騒は明日になれば忘れてるさ。


小学館が単行本発売ニュースをフライングで出して、
せめて最終回後にしろとブーイングされたが、
この結末を知ってて、リリースを期待のピークに合わせてきた可能性が高い。
この最終回を見てから単行本言われても、
初動の動きはなかっただろう。

つまりは、ただの狂騒の仕掛けにすぎなかったわけだ。
posted by おおおかとしひこ at 19:42| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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