2020年03月21日

デジタル時代の商業主義の醜悪さ

最終回前に作者がTV出演、いきものがかりとコラボPV、書籍化告知、
最終回直後に映画化決定ニュース、グッズ100種の追悼ショップオープン。

個人がコツコツ描いた漫画に飛びつくには、
あまりにも計画的に準備していたものたち。

なんだ、計画的犯行か。つまらない。


ドキュメンタリーだと思っていたものが、
フェイクだと知った時と同じだ。
なんだ、ヤラセじゃないか。

いきものがかりのPVが再生数よりいいね数が多いとか、
作者のフォロワーが増えたとか、
なんだ、ヤラセじゃないか。


本当にいいものをパワープレイしてくれるなら、
別にいいけれど、
大したことないものをパワープレイするから、
冷めるのだ。

なんだ、最初からバックがついてるんじゃないかと。


インターネットはこういうことから独立したものだと、
僕らは信じてこの新天地で遊んでいたつもりだ。
そこにも旧来のルールがやってきたのか、
それとも旧来のルールの掌の上に過ぎなかったのか。


韓流バズりは買える、食べログは買える。
その不信と同じものだ。

東京電力に忖度して原発事故をきちんと伝えなかったマスコミに、
我々は不信感を持ち、
それがTVの凋落とインターネット隆盛の原因(のひとつ)である。

つまり、正義や公平やフェアが、そこにあると思ったわけだ。
アンダーグラウンドだと思ったら、
アンダーコントロールかよ。




一番の問題は、
「ワニが騒ぐほど面白くない」
ことに尽きる。
めちゃくちゃ面白かったら、
夢のある話に見えるからね。

本当に面白いものを作ろうとしているクリエイターの、
席を空けてくれよ。
地上で評価が正しくされないから、
地下で戦おうとしているのにさ。


本当にいいものは、
誰かが強烈に好きになるほど良くできていて、
それが熱病のように広まっていくものだ。
俺はこれが強烈にいいと思うんだ、という人達が増えることが、
ほんとうのブームだ。

コアクラスタの形成なしに商売に踏み切ったワニは、
作り出した人の思いとは別に、
生涯裏切り者の烙印を押されるだろう。
なんだ、ほんとうでなかったなと。


せめて「人気に目をつけて広告代理店が参入」ならば、
「よくぞ拾った」だったのにね。
アナ雪2ステマで騒がれた漫画家たちと、
きくち某は同じ事務所とはね。

この、「枠だけ整えて中身が伴ってない」現象を、
なんといえばいいんだろう。
服に着られている状態のことを。
posted by おおおかとしひこ at 08:23| Comment(2) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>この「枠だけ整えて中身が伴っていない」現象を、

これを機にワニ盛りといっても通じそうです。
Posted by asu at 2020年03月21日 17:52
>asuさん

よくよく考えたら、日本はいつもハコモノビジネスでした。
神輿を担いで魂は別、という国でもありましたね。
逆にいうと、
集団で出来るのはハコまで、
中の魂は個人の資質と偶然で決まるということです。

いいものを拾って、ハコに詰められるハンターの存在が望まれます。

ワニはあと二週間もすれば記憶から消えるので、
ワニ盛りと言われてもあとでわからなくなる恐れがありそう。
Posted by おおおかとしひこ at 2020年03月21日 22:04
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