最終回前に作者がTV出演、いきものがかりとコラボPV、書籍化告知、
最終回直後に映画化決定ニュース、グッズ100種の追悼ショップオープン。
個人がコツコツ描いた漫画に飛びつくには、
あまりにも計画的に準備していたものたち。
なんだ、計画的犯行か。つまらない。
ドキュメンタリーだと思っていたものが、
フェイクだと知った時と同じだ。
なんだ、ヤラセじゃないか。
いきものがかりのPVが再生数よりいいね数が多いとか、
作者のフォロワーが増えたとか、
なんだ、ヤラセじゃないか。
本当にいいものをパワープレイしてくれるなら、
別にいいけれど、
大したことないものをパワープレイするから、
冷めるのだ。
なんだ、最初からバックがついてるんじゃないかと。
インターネットはこういうことから独立したものだと、
僕らは信じてこの新天地で遊んでいたつもりだ。
そこにも旧来のルールがやってきたのか、
それとも旧来のルールの掌の上に過ぎなかったのか。
韓流バズりは買える、食べログは買える。
その不信と同じものだ。
東京電力に忖度して原発事故をきちんと伝えなかったマスコミに、
我々は不信感を持ち、
それがTVの凋落とインターネット隆盛の原因(のひとつ)である。
つまり、正義や公平やフェアが、そこにあると思ったわけだ。
アンダーグラウンドだと思ったら、
アンダーコントロールかよ。
一番の問題は、
「ワニが騒ぐほど面白くない」
ことに尽きる。
めちゃくちゃ面白かったら、
夢のある話に見えるからね。
本当に面白いものを作ろうとしているクリエイターの、
席を空けてくれよ。
地上で評価が正しくされないから、
地下で戦おうとしているのにさ。
本当にいいものは、
誰かが強烈に好きになるほど良くできていて、
それが熱病のように広まっていくものだ。
俺はこれが強烈にいいと思うんだ、という人達が増えることが、
ほんとうのブームだ。
コアクラスタの形成なしに商売に踏み切ったワニは、
作り出した人の思いとは別に、
生涯裏切り者の烙印を押されるだろう。
なんだ、ほんとうでなかったなと。
せめて「人気に目をつけて広告代理店が参入」ならば、
「よくぞ拾った」だったのにね。
アナ雪2ステマで騒がれた漫画家たちと、
きくち某は同じ事務所とはね。
この、「枠だけ整えて中身が伴ってない」現象を、
なんといえばいいんだろう。
服に着られている状態のことを。
これを機にワニ盛りといっても通じそうです。
よくよく考えたら、日本はいつもハコモノビジネスでした。
神輿を担いで魂は別、という国でもありましたね。
逆にいうと、
集団で出来るのはハコまで、
中の魂は個人の資質と偶然で決まるということです。
いいものを拾って、ハコに詰められるハンターの存在が望まれます。
ワニはあと二週間もすれば記憶から消えるので、
ワニ盛りと言われてもあとでわからなくなる恐れがありそう。