めんめんつさんが、創作1万字をコピー打鍵するという荒行に出た。
https://menmentsu.hateblo.jp/entry/2020/03/21/143735
こりゃおもしろい。
従来から僕は、
創作打鍵には、コピー打鍵の練習は役に立たない、
と考えている。(極論)
もちろん学習初期、タイプウェルSA程度までは、
役に立つことは経験してわかった。
しかしそれ以降は、
限られた単語のみで文の流れがないことや、
ランダムであって思考が存在しないことなどが、
両者の差異を広げてしまうのではないか、
と危惧して、
SSに乗ってからタイプウェルを一度もやってない。
一方、
「手を鍛えておけば、どんな文章にも素早く対応できるはずだ」
という論もあり、それは一定の説得力があるように思う。
僕は、せいぜいSSくらいまでしかそれは意味がないんじゃないか、
と考えているわけだ。
Zタイパーのめんめんつさんが、
自分の創作文をコピー打鍵してみるという、
百人組手×百人組手みたいな荒行をした結果、
「両者は異なる」という感想を得たと考えて良い。
しかも、タイピングの速度を落として、
創作打鍵程度にすれば良いかというと、
そうでもないらしい。
考えながら文章を作っていくことと、
すでにあるものをコピーしていくことは、
脳の使う部分も、
体感の感覚(キーボードが光るか光らないか)も、
体の使う部分すら異なる、
という感想であった。
非常に興味深い。
少なくとも、
「脳から出てきた言葉をコピー打鍵していくことが、
創作打鍵」
という単純なモデルではなさそうだ。
僕がタイピングを本格的に考えて三年、
色んな人の意見を見てきたが、
わりと上のような単純な前提があったように思う。
僕はどうも違うぞと思っていたが、
自分がタイピングがまだ未熟だから、
見えてない光景があるかもしれないと慎重になっていた。
タイパー側からの視点でそこに光が照らされたのは興味深い。
僕は長距離トラック運転手なので、
F1ドライバーとは使う筋肉も脳も違うと考えている。
あと「肩が凝る」という証言だけど、
手首をつけてることが大きいのではないか。
動画を観察すると、
開始4分くらいまでは手首を滑らせるようにしていて、
まだ手首を浮かせた感覚のようだが、
それからあとはベタ付けになっているように見える。
(横からの撮影は、こういうのが分かりやすい!)
コピー打鍵のほうの動画がないから分からないが、
手首を付けなかったのではないかと予想。
経験上、手首を固定することで、肩と手首が固定され、
肘と指の関節しか自由にならないため、
指の負担が肘経由で肩に伝わりやすいのではないか、
と考えている。
手首を浮かせていれば手首の柔軟で吸収し切れる動きが、
肘まで行ってしまうという仮説。
なので肘に直結した関節、肩まわりがやられがちと。
なので最近は、
前腕を机のヘリに乗せ、
手首を付けるか付けないかのすり足状態の高さに保ち、
適宜使い分けながら打っている。
(数時間作業が予測されるときは、バビロンを使う。
これだと全関節が自由になるので)
めんめんつさんのリアフォ+パームレストの環境だと、
これごと数センチ机の奥に動かせば、
その角度が作れると思う。(椅子の高さ調整もいるかも)
何のために文字を打つのか?で、
打鍵のスタイルや配列のスタイルも変わってくるかも知れない。
いろは坂が、タイプウェル以外に何に得意なのかは興味がある。
創作文自体はもちろんこれが初めてではないのですが、今まで断続的に打ってたんですよね。そこでは「脳から出てきた言葉をコピー打鍵していくことが、創作打鍵」に近かったかもしれません (それでもタイパー打ちとはだいぶ違いましたが)。
手を止めてはいけないマラソンライティングでタイピングしながら文を考える必要に初めて迫られたので、いろいろと発見がありました。
常に手と思考とリンクさせなければいけないので、タイパー的に加速したらリンクが途切れて文の質が悪くなる、という事が実感できました。 (動画の後半では疲れて断続的な打ち方に戻ったかもです)
マラソンライティングの目的はたくさんありますが、
「意識や思考というのはわりと混濁している」
という発見の役にも立つと思います。
文章を書くこととは、この混濁をフィルタで濾してから書くものだ、
という意識づけもこれを経験するとわかるようになるかと。
僕が音声入力否定派なのはまさにこの意識の混濁で、
話がどんどんよれていくことが予測されます。
最終的には断続的な打ち方になるとしても、
タイパー的な打ち方とは違うというのは面白い発見でした。
薙刀式がなるべく狭い範囲にカナを並べているのは、
どんな連接でもだいたい等速度になるようにするためかも。
(一部の打ちやすいアルペジオはのぞくとして)