2020年03月22日

ワニのプロモーション反省会

#電通案件がずいぶん炎上したなあ。
電通が関わっていたかどうかはどうでもよくて、
なぜ炎上したかを考えよう。


それは、
「広告代理店が出してきた(と思われる)
タイアップが、作品内容と無関係だったから」
に尽きると思う。

作品が、
「いつ死ぬか分からないものだから、
かけがえのない日々をたいせつに」
という話であることは明白だから、
それを鑑みたグッズ展開にするべきだ。

たとえば100日日記帳とか、
100日で一周する時計とか、
100日のワニの日めくりとかだ。

それなのに、
物体ありきの図案にワニをあしらっただけの、
手抜きグッズばかりだからむかつくのだ。
Tシャツはよくあるからいいけれど、
トートバッグとかキーホルダーとかぬいぐるみとか、
お守りとか缶バッヂとかボールペンとか。
なんでもええんかいな。
作品内容と関係ないやん。

まだ「ワニの遺影」ならわかるけど、
それもやっちゃあいない。

キャラクターデザインを借りただけのグッズだったのが、
まずおかしなことだと思う。

追悼展のPOPとか、グッズの種類の豊富さとか、
最初から計画されていたかのような感じもむかつく。

ある種のテンプレに乗せてハイおしまい、
と言われたような感じ。


作品というのは、オリジナリティである。
似たものがひとつもないから作品なのだ。
ワニがそうだったかは別の議論として、
オリジナリティある作品ならば、
オリジナリティに関して儲けるべきである。

そこがずれているから、
「ずれたパワープレイ」を感じる。

だからみんな怒っている。


タイミングの悪さに関してはみんなが怒ってるから、
そこのずれたパワープレイは解説するまでもない。
もう少し「死んだことで命の大切さを考える」
時間をくれよな。
映画で言えば、エンドロールの前に広告が入ったようなものやぞ。
マーベルですら、エンドロール終わってから次回作の予告いれてたやろ。

理想のマーケティングのロードマップは、

1. 連載後半に、ぬいぐるみとかキーホルダーとかの、
ちゃちなグッズがタイアップ取れました!
と小さくやる。
2. 最終回付近に、「ファンになったので」と、いきものがかりが楽曲提供。
画像はなく、これまでのコマのコラージュで1番まで。
3. 最終回。みんな感動。
4. 三日くらいたって、ラストシーンも含めたコラージュを追加した、
いきものがかりフルバージョン。
ここでようやく音楽とのコラボ完成。
5. 二週間後、タワレコで急遽CD発売決定、グッズも増える。
6. 同時期くらいに書籍化決定。
7. 一ヶ月後くらいに、ワニ追悼展。たくさんグッズを増やす。
8. 追悼展の最終日に書籍間に合う。同時に、映画化決定のニュース。

くらいではないだろうか?

雪だるまを少しずつ大きくしてきたことが、
ワニの面白さであったから、
その感覚をずっと続けることが、
理想のプロモーションだったのではないか。

育てるべきコンテンツを、
ずれたパワープレイで台無しにした、
電通ではないらしい広告代理店は、
名前を晒して社会的に殺されればいいよ。



ひとつのコンテンツに、みんながぶら下がっている、
その奇妙な構造にみんな嫌気がさしたのかもしれない。
ただでさえAKBなどのゴリ押しにみんな疲れていて、
せっかく育ててきたものが、
似たようなずれたパワープレイを差し込まれて、
何もかも台無しになり、
コンテンツの意味さえ踏みにじられた。

「いのちをだいじに」というワニのメッセージは、
どのプロモーションからも感じられず、
電通ではないらしいこの広告代理店は、
頭が悪いと思う。

たとえばワニ型のエアバッグだって、
「いのちをだいじに」グッズになるのに。



タイアップなんだから、
最終回は早目に見ていたはずで、
それを見た上でこんなプロモーションを立案したのだとしたら、
広告宣伝のセンスがなさすぎる。

プロモーションは作品を殺す。
作品はプロモーションを殺せない。
作品は一方的な被害者だ。
posted by おおおかとしひこ at 01:25| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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