2020年03月23日

ピーク前にリリースせよ

完成をいつと考えるべきか。
「もうこれ以上ない、完璧な状態」で世に出すべきか。

その判断基準は間違っている。


僕は、完成の基準は、
「初見で最高に面白い状態」だと思う。

それには、ある程度の遊びが必要だ。

少し隙間があって、その時に考えを深めたり、
少し予想できることがあったり、
解釈に揺れがあって、考える余白があったり。

「完璧なものを作ってから、リリースしよう」
という考え方だと、
ギチギチに詰めがちである。

「あ、あれも入れたかった、これも入れたかった」と。
それで、結果、
初見の人が見るには情報過多なものが出来上がる。

トランクは余裕を持って詰めるのだ。
ギチギチに詰めてはいけない。

空気を含み、そこで観客が自由に遊べるような、
空間が必要だ。


勿論スカスカではダメだ。

その物語の枠組みの、
どこがギチギチで、
どこが余裕があり、
どこがスカスカかは、自分で批評するべきだ。

そして、スカスカを充実させ、
ギチギチを間引き、
尻尾まであんこが詰まりつつ、
想像できるだけの余裕のある、
初見で最高に面白い状態をつくるのである。


創作の終盤戦、
完成が見えてきてからは、
少しずつ削っていくようなスタイルになる。
ピークに向かっていくような感覚があり、
その頂点で放出したいのは人情だが、
そこは「何度も何度も書き直した人しか分からない、
ギチギチの部分」かもしれないと言うことを、
頭の片隅に入れておくべきだ。

たくさんたくさん詰めたものを、
観客は持って帰れない。
一個だけ大きくて大事なお土産しか、
持って帰れない。

そこに集約できるように、
余白を埋めてはいけない。


ピーク前にリリースせよ。
あなたのピークは、観客のピークとは限らない。
posted by おおおかとしひこ at 00:18| Comment(2) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おそらく(変な言い方ですが)、大岡氏の考えに私は賛成なんだろう
と思いますが、

「初見で最高に面白い状態」であるとともに、何度で見れるような作
品を作りたいわけですね。含蓄がある作品を作りたいわけですね。
「初見で最高に面白い状態」というのが、同時に「何度でも見れる」の
基準とおそらくは同じだったりするのだと私は思います。しかし、それ
はなぜでしょうか?

私が考えれば良い事ですから、感想を述べたまでです。
意見を述べる場合も、どこどこまでも詰めてから発言するということで
なくて良いと思っています。お説教じゃあるまいし。検事が起訴するとい
うような事でもないから、人権や名誉に絡むわけでもない。
聴衆の時間を奪うとか、共有の資源を使わせてもらうという事は確実にありますが。。
Posted by せき at 2020年03月23日 22:03
>せきさん

何度見ても初見の面白さがあるものが、
ベストだと思います。
完璧なものは、初見でも100回目でも完璧なものです。
バックトゥザフューチャーとか。

それ以外は単に何かが足りないか余計と僕は考えます。
Posted by おおおかとしひこ at 2020年03月23日 22:29
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