映画のラストカットはヒキが多い。
人のヨリで終わるものにほとんど名作はないと思う。
なぜだろう。
観客の気持ちが、現実へと帰っていくためである。
映画内の世界と、別れを告げるためだ。
同様に、
始まりもヒキが多い。
(逆張りでヨリからはじめるインパクトを優先することもある。
しかしそのうちヒキが入り、
そこから本格的な導入になるものだ)
ヨリの世界はストーリー本編だとすると、
その前後にヒキの現実とのクッションがある、
という構造になっているわけだ。
我々が目隠しされ、どこか知らない場所に放り出されたとしよう。
そして急に目隠しを解かれたとしよう。
まず我々はキョロキョロと周りを見渡し、
今どこにいるのか、
どういう状況になっているのかを確認し、
それから何かの対象物を見つけて近づいていくのではないか。
物語のはじまりとは、
大体このようなものだ。
いきなりは始まらない。
ここがどんな場所なのか、
キョロキョロと見渡す時間があるはずだ。
急に巻き込む冒頭だとしても、
落ち着いて周りを見渡して、
ここがどこだか安心して、
はじめてヨリの世界、
つまり主人公がどういう人か、
なにが目的なのか、
焦点は何か、にどんどん寄っていくことになる。
で、
それらが解決し終わり、
その旅が終わった時、
私たちも旅を終えなければならない。
つまり物語の中の主人公たちと別れを告げ、
現実の世界へ帰らなければならない。
その帰る時間帯がエンドロールであると思うが、
そのエンドロールの前に、
カメラがクレーンアップして引いていくことが、
よくあるわけである。
つまりこれは、世界とのお別れを意味している。
なにも解決せず、中途半端に終わったら、
引いて行ってもなんでやねんとなる。
しかし、
物語の中のことが全て決着し、
ストーリーが始まる前よりも、みんなにとって良くなった、
という完璧なエンドで、
「世界が完成した」となったら、
もうお別れの時間なのである。
完全になった世界に別れを告げ、
幸福になった主人公たちは、
もう二度と冒険することはない。
その完全な世界と別れを告げる時なのだ。
そしてその完全な世界の記憶を保持しながら、
私たちは完全でない現実の世界へ帰らないといけないのである。
その、お別れの儀式が、
「その世界全体を眺めてから帰りたい」
という気持ちだと思うんだよね。
だから、映画のラストは、
高い場所からのヒキで終わるんじゃないかね。
誰か(主人公が多い)の笑顔のヨリで終わる映画もあるけど、
それは個人の中での何かでしか終われないと思う。
つまり小さいストーリーならそれで終われる。
しかし社会と関わり、
その社会を良くしたような、
完全なストーリーならば、
やはりヒキで終わりたくなるだろうね。
あなたのストーリーは、
ヒキで終わるのか?
ヨリで終わるのか?
ヨリで終わるのは、独りよがりの可能性がある。
主人公の勇気ある行動は、
それをする前より世界を(結果的に)良くしたか?
それがイエスだったら、
その良くなった世界で引いて終わるはずだ。
2020年03月25日
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