2020年03月25日

なぜラストカットはヒキで終わるのか

映画のラストカットはヒキが多い。
人のヨリで終わるものにほとんど名作はないと思う。

なぜだろう。


観客の気持ちが、現実へと帰っていくためである。
映画内の世界と、別れを告げるためだ。


同様に、
始まりもヒキが多い。
(逆張りでヨリからはじめるインパクトを優先することもある。
しかしそのうちヒキが入り、
そこから本格的な導入になるものだ)

ヨリの世界はストーリー本編だとすると、
その前後にヒキの現実とのクッションがある、
という構造になっているわけだ。


我々が目隠しされ、どこか知らない場所に放り出されたとしよう。
そして急に目隠しを解かれたとしよう。

まず我々はキョロキョロと周りを見渡し、
今どこにいるのか、
どういう状況になっているのかを確認し、
それから何かの対象物を見つけて近づいていくのではないか。

物語のはじまりとは、
大体このようなものだ。

いきなりは始まらない。

ここがどんな場所なのか、
キョロキョロと見渡す時間があるはずだ。
急に巻き込む冒頭だとしても、
落ち着いて周りを見渡して、
ここがどこだか安心して、
はじめてヨリの世界、
つまり主人公がどういう人か、
なにが目的なのか、
焦点は何か、にどんどん寄っていくことになる。


で、
それらが解決し終わり、
その旅が終わった時、
私たちも旅を終えなければならない。

つまり物語の中の主人公たちと別れを告げ、
現実の世界へ帰らなければならない。

その帰る時間帯がエンドロールであると思うが、
そのエンドロールの前に、
カメラがクレーンアップして引いていくことが、
よくあるわけである。

つまりこれは、世界とのお別れを意味している。


なにも解決せず、中途半端に終わったら、
引いて行ってもなんでやねんとなる。
しかし、
物語の中のことが全て決着し、
ストーリーが始まる前よりも、みんなにとって良くなった、
という完璧なエンドで、
「世界が完成した」となったら、
もうお別れの時間なのである。

完全になった世界に別れを告げ、
幸福になった主人公たちは、
もう二度と冒険することはない。

その完全な世界と別れを告げる時なのだ。
そしてその完全な世界の記憶を保持しながら、
私たちは完全でない現実の世界へ帰らないといけないのである。

その、お別れの儀式が、
「その世界全体を眺めてから帰りたい」
という気持ちだと思うんだよね。


だから、映画のラストは、
高い場所からのヒキで終わるんじゃないかね。

誰か(主人公が多い)の笑顔のヨリで終わる映画もあるけど、
それは個人の中での何かでしか終われないと思う。
つまり小さいストーリーならそれで終われる。

しかし社会と関わり、
その社会を良くしたような、
完全なストーリーならば、
やはりヒキで終わりたくなるだろうね。


あなたのストーリーは、
ヒキで終わるのか?
ヨリで終わるのか?

ヨリで終わるのは、独りよがりの可能性がある。

主人公の勇気ある行動は、
それをする前より世界を(結果的に)良くしたか?

それがイエスだったら、
その良くなった世界で引いて終わるはずだ。
posted by おおおかとしひこ at 10:03| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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