クラスターとかオーバーシュートとかロックダウンとか、
急に知らないカタカナ用語ばかり使うくせに、
濃厚接触だけは日本語なのはおもしろい、
という意味のツイートを見て手を叩いた。
特定群発(あるいは単に集団感染)、
感染爆発、都市封鎖、
などのように言えないのはなぜか。
濃厚接触という体感用語だけは残るのはなぜか。
つまり、体で実感できる日本語にすると、
何もかもわかりやすくなるのだ。
見た目、聞いた感じ、匂い、味のほかに、
体感が五番目の原始的な感覚になるぞ。
触覚、と訳される第五感ではあるが、
皮膚に触った感じ、皮膚を突き破る感じ、
暑さ寒さ、風の感じ、
何かを持った感じ、
体の平衡感覚、
骨が折れた感じ、
眠い感じ、ぐっすり寝た感じ、起こされた感じ、
酒の感じ、
乗り物に乗った感じ、
何かを動作する感じ、
胸の痛み、体の痛み、爽快感、
方向感覚や地図の感覚、
などはぜんぶこれに含まれる、
実は大変広い感覚のことだと僕は思う。
だからこれを使うことは、
原始的な感覚の言葉で、とても強いわけだ。
生理的嫌悪感もそれに入るね。
黒板を爪で引っ掻く音は、耳以上に皮膚でゾワゾワするよね。
耳元で囁く行為が効くわけだ。
ドーン!は音でもあるし、体感語でもある。
見た目と音しかない映像は、
これらをどう表現していくかを考えるべきなのだ。
カメラの移動撮影や導線をつくる芝居は、
ある種の方向感覚や移動感覚をつくることができる。
それが混乱を招く1941に関しては先日批判した。
セリフだけで表現するのか。
何か別のことを「する」のか。
「する」ことは、とても体感覚に近いよね。
2020年03月26日
この記事へのコメント
コメントを書く