2020年03月26日

言葉の使い方

クラスターとかオーバーシュートとかロックダウンとか、
急に知らないカタカナ用語ばかり使うくせに、
濃厚接触だけは日本語なのはおもしろい、
という意味のツイートを見て手を叩いた。


特定群発(あるいは単に集団感染)、
感染爆発、都市封鎖、
などのように言えないのはなぜか。
濃厚接触という体感用語だけは残るのはなぜか。

つまり、体で実感できる日本語にすると、
何もかもわかりやすくなるのだ。
見た目、聞いた感じ、匂い、味のほかに、
体感が五番目の原始的な感覚になるぞ。

触覚、と訳される第五感ではあるが、
皮膚に触った感じ、皮膚を突き破る感じ、
暑さ寒さ、風の感じ、
何かを持った感じ、
体の平衡感覚、
骨が折れた感じ、
眠い感じ、ぐっすり寝た感じ、起こされた感じ、
酒の感じ、
乗り物に乗った感じ、
何かを動作する感じ、
胸の痛み、体の痛み、爽快感、
方向感覚や地図の感覚、
などはぜんぶこれに含まれる、
実は大変広い感覚のことだと僕は思う。

だからこれを使うことは、
原始的な感覚の言葉で、とても強いわけだ。

生理的嫌悪感もそれに入るね。
黒板を爪で引っ掻く音は、耳以上に皮膚でゾワゾワするよね。
耳元で囁く行為が効くわけだ。
ドーン!は音でもあるし、体感語でもある。


見た目と音しかない映像は、
これらをどう表現していくかを考えるべきなのだ。

カメラの移動撮影や導線をつくる芝居は、
ある種の方向感覚や移動感覚をつくることができる。
それが混乱を招く1941に関しては先日批判した。

セリフだけで表現するのか。
何か別のことを「する」のか。

「する」ことは、とても体感覚に近いよね。
posted by おおおかとしひこ at 12:40| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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