2020年03月27日

【薙刀式】句点での休憩

打鍵のリズムが思考のリズムにあってくると、
「、」で休む現象があるような気がする。


口で言う事をまず考えよう。
テープ起こしした経験がある人は、
驚くほど人は「意味のない言葉を発しているか」を、
知っていることと思う。

つまり、
えーと、えっと、あー、これはね、
うん、うんうん、なるほど、あと、で、
逆に、からの、要するに、もっとね、
いや、でも、ううん、ふむ、そういえば、

などなどの意味のないどうでもいい言葉を、
大量に発していることに気づくはずだ。

これはそんなに意味がない言葉である。
間投詞ってこんなんだっけ。
要するに、間を稼いでいるうちに、
人は次の言葉を探している。

じゃあ無言でいいじゃないかと思うが、
実際のところ、口を動かしていないと次に喋りにくくなるので、
アイドリングしている、と言えるかもしれない。

「要するに」は極端な例で、
要するにのあとは要約が来るものだが、
要約をこれからします、という宣言ではなく、
言い換えようとして考えているさま、
でしかないときがまれによくあるよね。
お前要するに、言うてからだいぶ喋っとるやないか、
というのはあくまでツッコミに過ぎず、
実際の会話では、喋りながら考えているものだ。

こうしたアイドリングの為の言葉は、
書き言葉では存在しない。

ちなみに、
「聞いている時はこのアイドリング言葉があったほうがいいが、
読むときはない方がいい」
という経験則が、雑誌や映像の編集で良く知られている。

聞いているときはその言葉があることで、
次に来るまで聞き手が準備できたり、
これから重要な言葉をしゃべるから、
間として機能したりする。

逆に目で見ている時は邪魔だから、
カットしたほうが理屈が浮き上がる。
インタビューの書き取りなどで、それらを実感できるので、

カフェとかで他人のしゃべりを録音して、
文字起こしとかしてみると、良く分る経験が積める。


で、書き言葉のときは、
そうした言葉を削除しながら書いていくものだ。
だから完全にそうしたものは除去されているかというと、
実はそうでもない。

「、」句点にそれが現れるときが、まれによくある。

なんか色々書いて、ちょっとだけ脳を休めて次の言葉を探すとき、
喋っているときなら、
「あー」とか「えー」とか言っていればよいのだが、
書き言葉にはそれはない。

口でなく指でそれをやってしまうのが、
「、」ではないかと僕は思うのだ。

手書きでも「、」を休みの時に入れがちだけど、
タイピングのほうがもっと入れがちだということが、
僕の経験から分かっている。


脚本家の北川悦吏子は「、」の多い脚本で有名だ。
彼女は親指シフターでもある。

何年か前、朝ドラを書いていたとき、
「親指シフトは速いがゆえに休符を入れたくなり、
それが句点で休むことがよくある」
という趣旨の発言をして、
プチ炎上したことがある。
主演の永井芽衣が「脚本の、。は間の指示でもあるから、
脚本の、。をよく覚えて、それを表現するようにしています」
とインタビューで答えていて、
それに対する答えとして北川の発言があった。

プロとしては、それをきちんと除去して、
通りのいいように整えるべきだと思う。
それをそのまま残すのはプロ失格だ。
もちろん、書き言葉では必要ない「、」を入れて間を作り、
その人のためらいや嘘をつく間を作ることなどは、
やるべきことだ。


で、よく僕はこうしたブログを書く時に、
ついつい「、」を使ってしまうなあ、
などと気づいてはいて、
意図的に最後に「、」狩りをすることがよくある。

思考の流れの一拍置くところと、
打鍵の流れが一致してしまうほど、
「、」を入れがちだということが、
最近分かってきたわけだ。


思考の切れ目がどこにあるのかは分らないが、
少なくとも文章というものは、
そのような痕跡を残すべきではない。

ということで、「、」を多用しがちな人は、
比較的速く打てているのではないか。
つまり逆説的に、
思考に打鍵が寄り添っていると、
認めてよいのではないか。


指の流れがなるべく思考に沿うようになると、
こうした弊害も出てくると思う。
posted by おおおかとしひこ at 16:23| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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