エモい場面はみんな大好き。
そういう場面を見ると、映画っていいなあ、
ストーリーっていいなあ、って思うかも知れない。
真似して書いてみても、エモい場面は書けても、
それ以上が書けなくて困ることだろう。
なぜか。
エモい場面は、エモい場面単体として存在していないからだ。
ツイッターやインスタの写真だけで、
エモさを表現できるゆえに、
「エモさは点」だと誤解しているのである。
実は、
良い写真というのは線だ。
一瞬を切り取っているから点だろ、
と思うのは写真の素人である。
良い写真というのは、
「点を切り取っているのに前後が想像できて、
そのピークの一瞬を保存したもの」
だと僕は考える。
たとえば、
優勝した瞬間の写真、
片思いの子がカメラ目線になったときの写真、
鳥が川から魚を獲った瞬間の写真、
NYがロックダウンした写真、
二人でデートしたときの写真、
飲み会の写真、
桜が人知れず散っていく写真、
などなど。
それらは、前後のストーリーが一枚絵に入っている。
だから良いのだ。
そして、そのストーリーが絵から想像できて、
構図も切り取った瞬間も決まっていて、
光線や影や色使いもいいやつが、
いい写真の必要条件だと僕は思う。
つまり、
写真とは、点で線を表現するメディアである。
エモい写真について考えよう。
上で上げた例はどれもエモいうちに入るかな。
こないだTwitterで見た、
「花火を見上げる5人のシルエットがエモいと思って撮ったら、
給水塔が5個並んでるだけでした」
というのは面白かった。
エモいは、シチュエーションの素敵さや、
感情が震える前後のストーリーがあると思う。
さて、本題。
つまり、その前後の線まで含んで写真というのなら、
その前後をストーリーにしないといけないのである。
「花火を見上げる5人のシルエット」を例にすると、
その5人の仲良しストーリー、
喧嘩したり仲直りしたストーリー、
一回転校して離れ離れになったが、
また会おうぜと約束して、
夏祭りに集まったストーリー、
それらがオリジナリティがあり、
ものすごく面白い時に限り、
「花火を見上げる5人のシルエット」が、エモくなるのである。
「優勝した瞬間の写真」がエモいなら、
どうやってここまでたどり着いたかという、
感情移入できる、物凄く面白い話が必要なのだ。
こうなると、
エモい写真などガワにすぎず、
ストーリーを本体にしなければならない、
ということが分かってくると思う。
つまり、
エモい場面や写真は、
観客にとっては入り口だが、
作者にとっては出口だ。
全部出来た上での吐き出し口を、
エモい感じに演出しているにすぎない。
この理解をしていないと、
「エモい場面はいっぱい思いつくんだけど、
ストーリーが思いつかないよう」
と悩むことになる。
悩む場所を間違えているのだ。
悩むべき場所とは、
事件と解決の連鎖反応であり、
人物同士のコンフリクトであり、
人物の動機に感情移入させることであり、
立体的で魅力ある人物像を造形することであり、
ベタを避けてひねりを入れることであり、
新しいテーマを見つけることである。
それらのトータルの出口として、
絵になるエモい場面を用意する。
そうしてはじめて、
「いい絵がこれまでのストーリーを象徴する」
という、名画の条件になり、
「エモい」という感想になるのである。
まあ、まずはエモい場面を100個考えなさい。
それがヤマになる、
ショートストーリー100本作ってみれば、
原理が理解できるだろう。
2020年03月29日
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