2020年04月02日

名画劇場1: ロッキー

今こそ名作を見て、その秘密を分析したりしよう。
引きこもり生活は長そうだ。
ということで、しばらく名作紹介をしていこうと思う。
しょうもないものを批判したって何も生まれない
(反面教師として紹介してるつもりではあるが)ので、
世の中にはこういう名作もあるってことを、
知っていこう。

映えある第一回は、ロッキー。
完全ネタバレで。


「俺には全盛期なんてなかった」。
これがロッキーのすべてだ。
このシーン(小目的はミッキーを説得してトレーナーについてもらうこと)
があるからこそ、次へストーリーは進む。

エイドリアンとのBストーリー、ラブロマンスはとても良い。
なぜならAストーリーとの絡みが、大変うまくできているからだ。
Aストーリーは「世界戦に勝つこと」だろうか?
僕は「何者かになりたい」だと考える。
それは具体的な形を取らない。
地下プロモーターに上がりをもって行かれ、
借金取りのチンピラ役をさせられ、指を折れと言われる。
ようやく形を取るのが、「アポロとの世界戦」だ。

この降って湧いたようなアメリカンドリームがロッキーの魅力だけど、
その地盤には、
「何者かになりたい」という青春の悩みがある。
形のないそれが具体になるのが、
世界戦の指名である。

第一ターニングポイント
(アポロが年鑑を見てイタリアの種馬を見つけたパート。
ロッキー本人のターニングポイントではないので、やや弱い)
をだいぶ超えたところで、
ようやくアポロのジムに呼び出されることに気づこう。


Bストーリーとの絡みは秀逸で、
スケート場のシーンでロッキーは引退をほのめかす。
誰にも言ってなかった話。
第二ターニングポイントでは、エイドリアンと寝ているベッドの中で、
「最後まで立っていたい」と、はじめて具体的な目標を言う。
ミッドポイント、テレビのインタビューで、
「エイドリアンみてるかー?」と女の名を呼び、
みっともないという場面も、
ラストへの重要な伏線だ。

ロッキーといえば生卵や階段や肉叩きやエイドリアーン、
だけど、
それは点でしかない。
線を追い、それらがどう繋がっているかの、
構造を勉強すると良い。


70年代のアメリカンニューシネマは、
アイデンティティの問題、
つまり「自分は何者かになりたい」
というテーマが多かったように思う。
僕はそれが大好きなのは、
大学生の時にレンタルビデオでよく見ていたからかもしれない。

分析すればするほどいい脚本だ。

小さなセリフもうまいし、
ロッカーが取られたエピソードや、
会場の看板でパンツの色が違うというエピソードもうまい。
こんなシーンを、
何度リライトしても上手に置いておけるかは、
自分に問うてみるといいだろう。


これらの準備を全部してからのクライマックス。
盛り上がらないはずがない。
その感情曲線を分析しておこう。
posted by おおおかとしひこ at 20:43| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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