いくつかリメイクされているが、オリジナル版を見ておくこと。
ワンシーンものの最高峰だといまだに思う。
以下ネタバレ。
対立の軸をはっきりさせることが効いている。
ストーリーはコンフリクトだ。
「有罪か、無罪かを争う陪審員会議の対立」
を持ってきたのがまず秀逸。
しかしそれだけでこんなに濃い話は書けない。
「ある仮定をしたとき、
あることに気付いてそれが崩れてゆく。
それは誤解や偏見であった」
という構造を、
どうやって作っているか、
きちんと調べるとよいだろう。
それが印象的な、机に突き立てられるナイフから、
上手に始まっている。
撮影された絵は「会議室でもめる人々の顔のアップ」だが、
話している内容が、
「犯罪はどのようになされたのか」の為、
我々の頭の中には、
「会議室の顔」ではなく「犯行現場の絵」が浮かび続けることになる。
これが二転三転してゆくため、
「同じ会議室の顔しか撮影されていないのに、
我々の頭の中にはどんどん違う絵が浮かんでいく」
という不思議な現象が生まれる、
稀有な映画だと思う。
映画は撮影された絵で語る、
と原始的に思っている人ほど、
この効果に打ちのめされるべきである。
物語とは、撮影された絵と(必ずしも)関係ない、
文脈のことなのである。
対立はどのように昇華するべきかについても、
「議論」というものの理想を見ることができる。
どんなクソ意見でも尊重すること、
理由が言えればクソみたいな理由でも、
意見になり得ること。
「私はあなたの意見には反対だが、
意見を言うことは守る」という基本が徹底されていて、
実に清々しい。
日本人の脚本家なら、こんな風に書けないだろうね。
学級会のしょうもない経験しかないもんね。
対立構造が時間を経るによってどう変わっていくか、
論点がどう変わっていくか、
一覧表にしてみると勉強になるよ。
そうそう、これを元ネタにした、
三谷幸喜の「12人の優しい日本人」も秀作だ。
必見です。
2020年04月11日
この記事へのコメント
コメントを書く