2020年04月11日

名画劇場10: 11人の怒れる男

いくつかリメイクされているが、オリジナル版を見ておくこと。
ワンシーンものの最高峰だといまだに思う。

以下ネタバレ。


対立の軸をはっきりさせることが効いている。
ストーリーはコンフリクトだ。
「有罪か、無罪かを争う陪審員会議の対立」
を持ってきたのがまず秀逸。

しかしそれだけでこんなに濃い話は書けない。

「ある仮定をしたとき、
あることに気付いてそれが崩れてゆく。
それは誤解や偏見であった」
という構造を、
どうやって作っているか、
きちんと調べるとよいだろう。

それが印象的な、机に突き立てられるナイフから、
上手に始まっている。

撮影された絵は「会議室でもめる人々の顔のアップ」だが、
話している内容が、
「犯罪はどのようになされたのか」の為、
我々の頭の中には、
「会議室の顔」ではなく「犯行現場の絵」が浮かび続けることになる。

これが二転三転してゆくため、
「同じ会議室の顔しか撮影されていないのに、
我々の頭の中にはどんどん違う絵が浮かんでいく」
という不思議な現象が生まれる、
稀有な映画だと思う。


映画は撮影された絵で語る、
と原始的に思っている人ほど、
この効果に打ちのめされるべきである。

物語とは、撮影された絵と(必ずしも)関係ない、
文脈のことなのである。



対立はどのように昇華するべきかについても、
「議論」というものの理想を見ることができる。
どんなクソ意見でも尊重すること、
理由が言えればクソみたいな理由でも、
意見になり得ること。
「私はあなたの意見には反対だが、
意見を言うことは守る」という基本が徹底されていて、
実に清々しい。

日本人の脚本家なら、こんな風に書けないだろうね。
学級会のしょうもない経験しかないもんね。


対立構造が時間を経るによってどう変わっていくか、
論点がどう変わっていくか、
一覧表にしてみると勉強になるよ。


そうそう、これを元ネタにした、
三谷幸喜の「12人の優しい日本人」も秀作だ。
必見です。
posted by おおおかとしひこ at 00:24| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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