とりあえず20本くらい選ぼうと思ったら、
すぐに埋まってしまった。
僕のベストムービーかも知れない作品。
以下ネタバレ。
カリオストロ城での冒険にきちんとなるように、
いろんな場所が用意されていることに気づかれたい。
どこへ、なんの目的で行くのかを整理してみると、
動線がちゃんとつながっていることがわかると思う。
この頃の宮崎は脚本書いてたのになあ。
同じく脚本書いてた時代の作品の「天空の城ラピュタ」も、
完璧な構成なので、構成に注目しながら分析するといいだろう。
なんのためになにをして、その結果どうして…
という連鎖を、実にスムーズに繋いでいる。
冒頭のアクションから、
中盤の塔の上から、
地下に落とされる不敵な笑みから、
時計塔のアクションに至るまで、
何もかも完璧な冒険映画だ。
ゴート札の謎(輪転機)、ルパンの過去の精算、
そして「やつは大変なものを盗んで行きました」
のラストに至るまで、
きちんとドラマを盛り込んできている。
もうクラリスが可愛くてしょうがない。
「泥棒を教えてください」なんて、
この子に言わせちゃいけないと全員が思うように誘導しているのが、
とても上手だ。
しかも全体構成が100分という、
実に的確な締まった構成であることに注意。
これも何分で何が起こっているか、
表を書く価値のある脚本。
こんなに傑作なのに、当時は大コケだったそうだ。
その作品の本質を広告し、
その通りに客を満足させることがいかに難しいかを痛感する。
(ちなみに、当時のコピーは、
「前作をしのげないのなら 2作目を作る意味がない」「巨大な城が動き始める! 影の軍団が襲ってくる!」「さらにスピーディーに! さらにスリリングに! さらにスッとボケて!」「生きては還れぬ謎の古城でついにめぐり逢った最強の敵!」。
だめだこりゃ)
もしあなたなら、この映画にどんなキャッチコピーをつけるか?
それも勉強になるよ。
ちなみに僕も書いてみた。本記事はこれでおしまい。
僕の回答例は、しばらく改行後。
(追記: コメント欄にて、ラピュタとの構造上の相似点と相違点について、
議論あり。一読の価値あると思います)
ルパンの本気の恋。謎の城の奥底で。
ですが、「ラピュタ」の場合、セントラルクエッション(でいいのかな?)が、前半が「パズーはシータを助けることができるのか?」後半が「パスーはラピュタでなにを見つけるのか?」と二つに分裂している気がするんですが……。
事実、「ラピュタ」のピークは中盤のパズーがシータをフラップターで助けるシーンで、それ以降はボルテージが微妙に下がっている(思ったほどラピュタ城のシーンが盛り上がらない)気がするんですが?
大岡様はいかがお考えでしょうか?
よろしければお教えいただけましたら、ありがたく存じます。
「父がラピュタを探していたこと」
がパズーの内的問題で、
「ラピュタは本当にあったんだ!」
がその解消。
これと「シータを助けること」(いきかがかり上の問題)
の二本立てが大枠。
それを結ぶのが飛行石、
という構造かと思われます。
シータを助けるのは人道的問題も去ることながら、
飛行石やラピュタ人という、
パズーが追い求めていたことと関係あるからです。
(本人の自覚はないにせよ)
宮崎駿の描く男の主人公は、
感情移入する前に勝手に動くので、
彼のセンタークエスチョンは何か、
いつも曖昧です。
ルパンの場合は、「ゴート札で一度失敗していた」の過去があるため、
クラリスを行きがかり上助けた
(そしてアイテムとして指輪をドロップ)、
カリオストロ城にゴート札の輪転機があった、
と、実は上で示した構造と同一であることに気づかれたいです。
ルパンはゴート札で自分が失敗した過去があり、
パズーは本人ではなく、死んだ父の過去がある。
この紙一重の差で、
パズーへの感情移入とセンタークエスチョンは、
曖昧になります。
生きてていた父とパズーの感情移入エピソードが、
ひとつあった方が良かったと考えます。
最初の方で、父の残した飛行機を組み立てて試験飛行している
(素晴らしすぎる朝のラッパのシーンのかわりに)
→竜の巣へ挑むときにその飛行機を使う
などのような、
「父の遺志を継ぐ」ことが彼のセンタークエスチョンになっていれば、
センタークエスチョンはわかりやすくなったと思います。
ちなみにミッドポイントは、
ラピュタはシータを救出、空中戦で、
ルパンではルパンをクラリスが救出、屋根の上の空中戦で、
と、ほぼ同一の構造です。
ラピュタが後発の分派手になっただけで、
メインプロットの大構造は同じですね。
>宮崎駿の描く男の主人公は、
>感情移入する前に勝手に動くので、
>彼のセンタークエスチョンは何か、
>いつも曖昧です。
ぼくが「カリオストロ」でいつもルパンの動機がいまいちわからない、と思ってしまう原因がこれだったんですね。
ルパンのセンタークエッションは、「ゴート札で失敗した過去を清算できるのか」で、実は「クラリスを助ける」はいきがかり。
パズーのセンタークエッションも「父の意志をついでラピュタを見つけられるか」で、実は「パズーはシータを助けれるか」はいきががり。
しかしどうみても宮崎駿はいきがかりの方に注力している。
明らかにいきがかりの方を描きたいと思っている。
本来あるべきセンタークエッションといきがかりが、逆転してしまっている作りになっているのではないでしょうか?
正確にいうと、
「行きがかり上の事件(Aストーリー)が、
恐るべき巨大な陰謀に繋がり、
それが主人公の本来追い求めていたもの(Bストーリー)と一致」
という構造だと思います。
よく言えば巻き込まれ型、
悪く言えばご都合主義。
ルパンの場合はゴールのゴート札に最初に出会っていますが、
パズーはゴールのラピュタには飛行石経由でしか、
間接的に出会っていません。
この紙一重の差が、
ラピュタのセンタークエスチョンが分かりにくい理由です。
ルパンの行きがかり上は、崖を走る車のチェイスで終わりますが、
ラピュタの行きがかり上は、ミッドポイントまでかかってしまう。
前半戦を拡大させすぎたわけですね。
でも面白いからしょうがない。
なので下手に構造をいじるよりかは、
パズーのBストーリー「ラピュタがあると信じて、
そこへ行こうとしていること」を、冒頭に示すべき、
という解のひとつを示しました。
ということで、
ルパンとラピュタは脚本構成上同一の構造の、
バランスの異なるストーリーです。
こんなこと誰も言ってないかもですが。
…ということまで分析しておいて、
ルパン>ラピュタの出来を判断して、
名画劇場的にはルパンを採用しております。
このコメント欄の議論を読みながら上記の記事を思い出しまして、近い内容かと思うのでご紹介させていただきたくコメントします
(勝手に第三者の記事を取り上げていいのかわかりませんので問題がありそうでしたら非公開で差し支えありません)。
よりミクロな話になってしまい申し訳ないのですが、個人的には「素晴らしすぎる朝のラッパのシーン」が好きでして、それが単体として素晴らしいのは勿論ながら、
・スムーズに屋根の上に移動する(その後屋根から飛び降りるアクションで飛行石がパズーには使えないことを示せる)
・そこで出た鳩がパズーとシータの仲を取り持つ(予定調和的に見えにくい?)
というあたりにつながっていくのが面白いなあと感じております
(こちらもコメント欄を見て思い出しました)。
横から失礼いたしました。
「ラピュタは二本立てである」というのはまだ浅い見識と感じました。
「AストーリーとBストーリーの相関が弱く、
本来なら絡み合うべきものが、
飛行石程度しか感じられないため、
二本立てに見えてしまう」
というのならわかります。
そしてこれらを結びつけるエピソードがあれば、
一本のストーリーになりえます。
すべてはラピュタへ向かうことが目的なので、
その初期設定をパズーにするべきです。
しかも初出が理想です。
ラッパの場面はラピュタの中で僕が一番好きな場面なのですが、
そのAストーリーの設定部のためには切るべきでしょう。
ちなみにラッパの場面は、
脚本理論的には、Save the catの場面、
すなわちパズーが善人であることを示す機能があります。
ということで、
「パズーが善人であることを示しつつ、
胸の内に秘めた、ラピュタを探すために飛行機を試験している」
という朝にすれば、すべては繋がりやすくなるでしょう。
もちろんそれだけでは足りないので、
もっと絡む必要があります。
たとえば45分近辺に父の思い出話をもってくるとか、
ミッドポイントに、父の形見の翼を使ってシータを救出するが、
ムスカに壊される、
とかの、AとBを強く結びつける何かが必要でしょう。
こうした俯瞰をしなければ、二本立てのバラバラをまとめ切ることは出来ないと考えます。