2020年04月09日

感情と理性

前記事の続き。現実とドラマの様式美の違いをさらに考える。


安倍総理の緊急事態宣言は、
きわめて理性に訴えるものであった。

つまり大人が最低一ヶ月間理性を保って行動することを、
喚起したものであった。

映画は違う。
僕が前記事で書いた原稿は、
心が昂り、勇気が湧いて来て、
人類の使命という厳粛な気持ちになるように書いたつもりだ。
つまり、感情に訴えたのである。


極論すれば、
現実は理性、映画は感情に訴えるわけだ。

この違いは、スパンの違いだと考えられる。
現実は一ヶ月(や下手したら年単位)影響を与える必要があり、
映画は今すぐ影響を与え、このシーンや次のシーン、
つまり分単位、秒単位で感情を昂らせないといけない。

一ヶ月人を動かすには理性、
数秒後に人を動かすには感情、
その違いが原稿の差に出たように思う。

つまり、
ドラマとは感情である。


いや、分かっていたことではあるはずで、
脚本とは感情曲線だとかなんとか言っていたはずだ。

しかし、演説という台詞は、感情にこなければ意味がない、
というところまで意識していただろうか?

逆に、
あらゆることを、感情が揺れ動くように、
書いていただろうか?

うまく行ってないところは、
感情が揺れないから、うまく行かないのではないか?


逆に、脚本とは、
数秒先の感情をコントロールするべきなのだ。

映画とは、
理性で動く現実を忘れさせて、
いっときの感情に溺れさせることである、
と定義してもいいだろう。



あ。ヒトラーの演説が、そうだったね。
「インディペンデンスデイ」の大統領の演説は、
とても感動するシーンだが、
これはヒトラーの演説のやり方に似ているのかも知れない。

「シンゴジラ」の自衛隊の演説は、
リアルだがドラマチックではないと僕は感じた。
日本人のドラマチックは、このレベルまでしかいかないのか、
とがっかりした。
(あるいは、実写のドラマチックはアニメにしかないのかとも絶望した)
リアルという理性が、感情で振り切れてないと、
今なら批判が出来ると思う。

映画はセックスである。
理性を飛ばすほどの感情で、振り回すのだ。
覚めさせてはいけない。


現実は逆で、感情によるパニックを、理性で抑えるのである。

だから映画は、暗闇の中のセックスに似ている。最初から卑猥なのである。
posted by おおおかとしひこ at 00:20| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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