感情移入は物語にしかない機能だと僕は考えている。
共感や同情は重なりあうものではあるが、
感情移入そのものではない。
自分と近いものに起こるのが共感で、
遠いものに起こるのは同情だろう。
感情移入はそのどちらでもない。
応援できることがポイントではないか。
感情移入があるからこそ、
私たちは物語をのめりこんでみることができる。
感情移入を伴わない物語は、
どこか遠くの出来事でしかなく、
興味もなければ、早く終わってほしいとしか思わないだろう。
ただあって終わった、という他人のどうでもいいものでしかなく、
自分と引きつけて、いろんなことを想像しては楽しむ、
物語の基本的な楽しみとは、
真反対のことしか起こらないだろう。
感情移入を妨げるものは、
以下のようなものだろう。
1 事情がよく飲み込めない
2 ご都合主義
3 安心して感情移入できる何かがない
1 事情がよく飲み込めない
説明不足や、下手な状況設定のもとで、
見る側に混乱が起こっている。
あるいは、たいして面白くもなさそうな状況しかない。
感情移入の最初は、
「興味が持てる状況」でひきこむことだ。
「彼と彼女が浮気を理由に喧嘩している」
などの、よくある状況では、
興味すら起きないだろう。
そもそも、これから先に起こることが面白そうであるという、
期待がこもっていない状況下では、
何をしても退屈である。
そして、その面白げな状況を、
観客がよく理解して咀嚼できる必要がある。
「これはこういう風にすればよいのでは」とか、
「こういうことをやってはいけないだろう」
などの、
「頭の中で解決するシミュレーション」をすることが、
鑑賞ということだからだ。
頭の中で状況を組み立て、
それをシミュレーションすることのできない、
情報不足、情報過多、
明瞭でない、よくわからない状況下にずっと置いておくこと、
さっき言ったことを忘れてしまうこと、
などがあると、
頭の中での状況組み立てに支障がある。
それができていないものは、
多分ちっとも面白くない。
わかりやすいことは重要だ。
「あいつを倒せば解決!」に焦点を絞れれば、
たとえば状況はクリアになる。
あるいは、一見わかりにくいものから、
一点だけ解決への道筋が見えたりするなどの、
複雑な状況からシンプルな状況へ展開があると、
わかりやすい物語へ収斂する。
シンプルが必ずしも正義ではない。
状況は複雑なほうが、オリジナリティがあり、なかなか解決できない、面白げな問題が多い。
しかし、いっこうに良く分からない状況が続くのはよろしくない。
どんどん「わかるぞ!」という流れに乗せるべきだ。
そうすれば、
「なるほど、これはこうなのか、
ということはこれはこれだな」などと、
起こっていることの理解が進み、
興味はつねに持続するだろう。
興味が持てていないものは、感情移入が失われる。
2 ご都合主義
観客の頭の中で、こうすれば解決するのではないか、
というシミュレーションに、
著しく反すれば、
それはご都合主義というものだ。
「そんなバカな解決法でいいんだったら、
苦労しないだろ」
と思われた時点で、観客の感情移入は著しく下がる。
観客は現実の世界の経験があり、
それに照らしながら、物語の世界の原理を理解している。
設定がある部分以外は、
基本的に現実と同じ世界であることが、
フィクションの前提だ。
観客が知らないことで勝手に解決してしまうのは、
信用を失うことになり、
これを回復することは、物語終了までないことは、
覚悟しておいたほうがよい。
もちろん、矛盾など論外だ。
ご都合主義とは、
作者の主観と観客の客観がずれていることだ。
これに気付くのは、作者自身の立場からは難しく、
第三者目線でなければならない。
難しいからといって、出来ないでいい理由にはならない。
3 安心して感情移入できる何かがない
悪には感情移入しづらいものだ。
そんな簡単にいろいろ出来たら人生楽だわ、
という人間にも感情移入しづらいものだ。
自分に近い人には感情移入しやすいが、
遠い人間だからといって、感情移入できないわけではない。
遠い人間に感情移入させるコツは、
「俺たちとおんなじなんだなあ」
ということを描くことだ。
まったく関係ない人間なのに、
自分たちと同じようなところがある、ということで、
感情移入に至ることはよくある。
逆にいうと、悪や怠惰の要素は、人間にはあるものの、
最終的に観客は善人であるということである。
いいぞもっとやれ、という悪やバッドエンドはあるが、
それだけで終わってしまっては、ただの露悪だ。
露悪でも偽善でもない、
まっとうな何かがあるとき、
観客は感情移入をあきらめない。
フィクションは嘘なのだが、
そこに真実のひとかけらがあれば、
観客はそれを信じるだろう。
また、感情移入は、
主人公にもっとも行われるべきである。
もちろん、全部で毎分主人公へ感情移入しているわけではない。
主人公以上に感情移入してしまう人物が、
ときには表れることはよくある。
しかし、
最終的には主人公に感情移入が戻ってくるべきで、
そうでなければ主人公とは言えないだろう。
感情移入がうまくいっていると、
主人公への一挙一投足に注意が持続する。
主人公の感情に、自分の感情がシンクロする。
くやしさを同じく感じ、つらさを同じく感じ、
喜びも同じく感じる。
それこそが物語を見る楽しみだ。
それが裏切られるのは、
どこかおかしいのだ。
技術的にそこを発見し、
修復できるようになろう。
それは、第一稿を書いたあと、
リライトでチェックして修正することが多くなるだろう。
また、一発で感情移入させることは大変難しい。
印象的でキャラの立っている場面を作れることが大事だが、
毎度毎度そんなにうまくいくことはない。
だから、感情移入というのは、
何シーンにもわたって醸成されるものであることを、
理解していくとよい。
ということは、ずっと続く流れのような、
長い何かが感情移入なのだ。
2020年04月26日
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