2020年04月27日

危機に人は慣れる

なぜ危険はどんどん釣り上げないといけないか?
なぜ厄介ごとはどんどんレベルが上がっていくのか?

慣れがあるからだ。


逆に同じ危険レベルで、
ずっといたらどうなるかを考えると良い。

この自粛に、二週間で飽きたようなことが起こるだろう。
変化のなさにストレスがたまるわけだ。

同じ危険レベルでは飽きる。

どんどん危険のレベルはあがるべき。
あるいは、いったん安全安心にさせておいて、
もっと危険なことになると、
感情のシーソーを動かすことができる。

もっとも単純な形は、ホラーで観察することが可能だ。
単純な追っかけっこが、ホラーの原型である。
「まいたかと思いきや反対側にいた!」
なんてのは基本だろう。

しかもより足場が悪くなったり、
助かったと思ったエレベーターが故障中だったりするわけだ。

スピルバーグは追っかけっこの達人だった。
「激突!」や「ジョーズ」のあの手この手は今でも構造的な参考になる。
ターミネーターシリーズは、
毎回毎回追っかけっこしかしていないが、
危険はどんどん盛り上がってゆく。


危険を釣り上げるには、
危険そのものの度合いを上げることと、
締め切りをキツくすることの二つがある。

一週間後までにすれば良かったものを三日後までに、とか、
一週間後までにすれば良かったものを、
他のことが緊急になったので三日で終わらせないといけないとか、
色んな変形の仕方があるだろう。


つまり、
展開とは、
安心と危険のレベル上げなのだ。

勿論、解決する方法はより困難になってゆく。
だから、脚本は最後まで考えてから書くべきなのだ。

危険のレベルが上がればあがるほど解決を思いつくのは難しくなる。
だからこそ、
「途中で思いつくやろ」と、
最後まで出来ずに脚本を書くことは、
自殺行為なのだ。
後半ほどキツくなるわけで、
それに作者が耐えられずに放棄してしまうだろう。

それで、「最初は良かったけど後半ダメ」な脚本ばかりになるわけだ。


展開とは、危険のレベル上げと解決の鮮やかさが増すことだ。
そう考えると、
脚本とは、危険のレベル上げと解決のペアの、
計画だということが出来るだろう。

計画があればこそ、最後まで危険を最大限にして、
それを見事に解決できるのだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:56| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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