大昔の映画だが、未見だったので見てみた。
華麗なる詐欺師たちが集まって、いっちょかっぱぐ話。
オーシャンズ8などに繋がる系譜かな。
しばらくネタバレなしで。
流石に古臭いテンポだなあとか、
25分ごとに場面転換のタイトルが入ることで、
三幕構成が分かりやすいなあ、
などと考えながら見ていた。
現在の常識では、
オイオイそんなんでいいんかいな、
なんてずさんなものも目立つ。
しかし二幕、
急行列車の中のポーカーゲームと、
馬の賭場をこしらえるあたりから、
徐々に面白くなってくる。
冒頭の詐欺の場面の鮮やかさといい、
ポールニューマンといい、
ああ、これは「ハスラー」の系譜だな、
ということに気づく。
漫画でいえば「カイジ」だ。
騙し合いの面白さ、荒唐無稽さを楽しむ映画なのだと。
そうなってくると、
俄然、
「じゃあどう騙すのか」に焦点が集中して、
こういうルールの映画なのだな、
と、楽しみ方が分かってくる。
しかしシカゴの鉄道は、今も昔もまったく同じなんだねえ。
スパイダーマン2でも、
クリードでも印象的な空中鉄道。
どの映画にも出てくるイメージ。
あの駅はたしかアベンジャーズ後のスパイダーマンで使ってなかったっけ。
さて、この映画の面白さ、素晴らしさは、
前半ではなくまったく後半戦にある。
前半の現代から見れば退屈なテンポは、
ここに来て俄然面白くなる。
それを堪能する映画だと思う。
こういうのでいいんだよ。
こんな面白さの映画、断絶してしまったのかしら。
(オーシャンズシリーズは未見)
ネタバレなしで言えるのはここまでだ。
クライマックス、華麗なる大嘘を大いに楽しんで、
そしてどうやったらこれを書けるか、研究されたい。
タイトルが「スティング」で損をしている。
「詐欺の本番」の意味なのだが、
「華麗なる大詐欺師」「華麗なる大芝居」くらいが丁度いいかもね。
以下ネタバレにつき、改行。
詐欺をする為に、
「馬の賭場を作ってしまう」
というアイデアがまず秀逸だ。
(鼻を殴られたやつをうまく使ってるよね、最後まで)
カイジの「沼」編を思い出す。
(カイジのネタバレになってしまうのでこれ以上は無理。
カイジのいくつかのシリーズの中で、
僕が一番好きな落ちだ)
話が面白くなってくるのは、
相手に取り込んだと思ったら、
「あいつを殺せ」と、裏切りを持ちかけられてからだ。
「さあどっちを取る?」という、
「Aか、Bか」という両極に話を振り切っているのが最高だ。
その不安をかき消すように、
ロバートレッドフォードが女と寝たあと、
なんと殺し屋だったという小どんでん。
ポールニューマンの指示での護衛により命を助けられ、
それでも裏切るのかどうするのか、
というところに、
我々の焦点は吸い付けられたままになる。
勝負の日の朝、ずっと無言で現場にやってくる、
そのモンタージュが素晴らしい。
今なら音楽かけちゃうぜ。
それを音楽なしで、
異様に緊張が高まってくるのが最高。
こんな演出もあるのか、とドキドキしたよ。
で、ラストの大どんでんだ。
我々はロバートレッドフォードが裏切るのか、
裏切らないのかに焦点が釘付けになっているため、
なんとFBIが賭場以上の大芝居であったということに、
気づかされていなかったわけだ。
なんという大手品。
見事としか言いようがない。
この大仕掛け、映画ならではだろう。
ドリフならセットが全部崩れるところだよな。
手品のコツは、視点の誘導である。
Xに注目させておいて、Yから目を逸らせることだ。
この華麗なる大嘘を、ぜひ楽しんで、研究されたい。
これは人によって可能な、
人によって構築された芸術である。
ポールニューマンつながりで言えば、
「ハスラー」「ハスラー2」も傑作だ。
とくに2のクライマックスは最高。必見。
追記:
タイトル候補「華麗なる大逆転」
大逆転があることを期待させて、
それはいったいどういうものだろうと推理させて期待を保つタイトル。
実際、
ロバートレッドフォードが華麗に裏切るのだろうかとか、
女が殺し屋だったことで大逆転なのだろうかとか、
最後二人が撃ち合うとか、
色々なミスリードがあるので、
本命のFBIは誰も読めないだろう。
ポール・ニューマンとトム・クルーズの戦いが見たかった、という。
物語的(あるいはテーマ的とかニューマンの変化的)にはあれで終わっているので、正解なのでしょうが、それでもやはり対決が見たかった、不完全燃焼に感じた、という観客は確実に存在したと思います。
そういう意見については、大岡様はどうお感じでしょうか? よろしければ、お教えいただけましたらありがたく存じます。
僕はリアルタイムではなく、あとで見ました。
なので1から連続で見ています。
2のラストは1のオープニングが前提なので、
2をいきなり見た人は、
ラストの対決を欲するでしょうね。
でも1のオープニングとの係り結び
(ギャンブルとは相手を釣り上げて一気にだますこと)
を考える以上、不要だと思います。
1と2が直結していればそれほど不満はなかったかもですが、
なにせ何十年も空いてしまったので、
そのへんが理解されなかったのでしょう。
リバイバルとか同時上映とかしていれば、
また批評は違ってきたかもしれません。
僕はそこを省略した潔さにうなりましたが。
トム・クルーズとの決着を描く3があれば、
また批評は変わってくるでしょう。
誰かやらないかな。
トム・クルーズがポールニューマンの役で、
誰か新人俳優を抜擢すれば、3は作れると思うけどなあ。
私は2を見た後、しばらくしてから1を見たので、全然それに気がつかなかったです。
機会があれば見直してみます。
ありがとうございました。
ネタバレになりますが…(ちょっと改行)
1のOPで、
「ギャンブルとは死んだフリをして、
最後の一回だけと言って掛け金を釣り上げ、
たった一回で勝ち逃げするものだ」
というポールニューマンの基本戦術が示されます。
1のクライマックスはそれで勝利する。
で、2はそれを踏まえて、
トムクルーズにそれをやられてしまうわけです。
「忘れとったわ、ギャンブルというものを」
とポールニューマンは笑うしかない。
だから、「カムバック」という力強いラストは、
生き馬の目を抜く騙し合いの世界へ復帰するぞ、
という決意表明で終わって構わないのです。
若い奴との対決がテーマではなく、
戦士としての矜恃を取り戻すのがテーマというわけ。
トムクルーズは決勝で待ってるかもしれないし、
他のギャンブラーにやられたかもしれない。
それはどっちでもいいや、というポールニューマンの清々しい、
不敵な笑みこそがテーマです。
脚本論的には他にも、
「ビリヤードのルールが分からなくても、
『死んだフリで掛け金を釣り上げる』さえ分かれば見れる」
という点がすごいと思います。
デスゲームものは、これらの系譜の元にいるのでしょうね。
ありがとうございました。