国税庁の堅物役人の人生に、
突如鳴り響くナレーション。
それはその男を書く「作者」の地の文であった。
このアイデアがとても面白い。
ダスティンホフマンの教授役もすごくいいし、
ヒロイン像も素晴らしい。
しかしあのラストは、もっと他のがなかったのか、
とプロとしてものすごく考えてしまう。
以下ネタバレ。
セオリーとしては、
時計から始めたから、
その時計が命を救ったのだ、
ということになり、
形としてはできていることになる。
問題はその意味だろうか。
含意としては、時計の刻む、
一分一秒こそが人生そのものなのだよ、
ということなのだろう。
(奇しくも、100ワニと同じだ)
しかし主人公のハロルドは、
その時間や数字に縛られた人生で、
そこからの脱出を特に欲していなかった。
だから、
その支配の象徴である時計が壊れることに、
含意が仕切れなかったように思う。
死を覚悟した夜、
恋人に内緒の話があるといって、
ホームレスにあげたぶんで税金対策をしたことは、
ものすごく「彼のキャラクターによる最大の愛の表現」
になったと思う。
しかしこれがラストに生きるわけではなかった。
ギターの場面がすごく良かっただけにね。
小説の草稿、
「この結末しか有り得ない」「文学史に残る」
と言わしめた死に方のハードルが上がりすぎたのも問題か。
あの子供を助けてバスに轢かれることの、
どこがその結末しかあり得ないのや。
もっと、ハロルドの死(仮)に、
成る程と唸らせる、
文学史に残る死に方があれば、
さらにそれをどんでん返せる、
ハロルドの死を書き換え、
悲劇は喜劇へと変わったのだ、
文学史に残る死よりも、凡作なる生を、
というテーマ性へ結実できたかもしれない。
ここさえきちんと出来ていれば、
それこそ映画史に残る映画になり得たのになあ。
「ナレーションに気づく」
「教授が『どの物語の主人公か』推理していく」
などのメタ的なものはすごく面白かった。
その小説家が実在して、会いに行く、
というひねりも強烈に面白い。
しかし、根っ子のアイデアが上のものであったことが推察され、
「ではこの話のテーマはなんなのか」
から考えられていないことが、
冒頭とラストのペアから読み取れる。
脚本添削スペシャルでもあった、
「そのモチーフでどんなテーマを描いているか」
である。
この話を象徴するものは、時計だ。
え?そうなん?と思うのが問題で、
事件のはじまりが時計で、
命を救ったのも時計なのだから、時計であるべきだ。
しかし時計がこの話全体を象徴していないので、
腑に落ちないのだ。
かわりにクッキーとか、ギターとか、スペースキャンプとか、
色んなものに分散してちらついてしまっている。
この話の象徴は、時計だ。
こうなるように全てが組まれていれば、
最高!となったはずだと、僕は思う。
だって最後腕のギプスに時計が落書きされるんだぜ。
そこになんの象徴的含意もないではないか。
むしろギターの落書きのほうが、
ハロルドの人生に重要じゃないかと思ってしまう。
じゃあ、時計をこのストーリーの象徴とするために、
考えてみよう。
ヒロインとのラブストーリー、Bストーリーは魅力的だった。
Aストーリーは死を止めることだ。
やはり、時間がテーマになるべきだったと思う。
秒針がひとつ動く時、あなたは生きている。
次に秒針がひとつ動く時、あなたは生きている。
その積み重ねが、ただ人生だ。
その時計が壊れても、ただ時計が壊れただけで、
あなたの人生が壊れたわけではない。
時計は関係ない。人生だけが関係しているのだ。
こんなふうに、壊れた時計からギターへと持ち替えるラスト、
にするとしたら、
ハロルドは、「回数を数える人」や「計算する人」ではなく、
「時間に縛られる人」にするべきだったろう。
一秒の遅刻を恥とする人のような。
そのように第一印象を固定すれば、
ラストと係り結びができただろう。
あとは、「この結末しかあり得ない草稿」だな。
たとえばこの時計は正確にハロルドの死をカウントしていた、
すべては運命だったのだ、
ハロルドは生まれてから死ぬまで時計に管理されたのだ、
みたいにすれば、
その時計を壊すこと、時間から脱出することが、
人生の大逆転になったかもしれない。
たとえばギターを弾くときに、メトロノームに縛られていて、
テンポを崩すことが重要であるとか。
セックスのピストンすらメトロノームに正確で、
それを崩すことが重要であるとか、
そうした「時計からの逸脱」を、
モチーフにしていけば良かったのではないかと思う。
で、時計から逸脱したからこそ、
ハロルドは死んだ、というふうにすれば、
その結末しかあり得ない、と皆がいうようなものになる。
さらにそこを、僕はそうは思わないと、
ハロルドだけが皆の「客観」を、
主観で逸脱すれば良かったかも知れない。
ラスト、時計の破片が刺さって、という冗談のようなご都合はやめて、
皆が納得するハロルドの死の運命を、
ハロルド自身が裏切る(事前に死に方をしっていたゆえに)
というようにすれば、
力強い生がテーマになり得たかも知れない。
(脚本上で何回も書き直された可能性がある。
今議論したラストは、断片から復元してみた)
結局、映画はテーマとモチーフへ帰着する。
その芯がぶれていたから、
微妙なラスト感が強く、
腹落ちしなかった原因だろう。
ツカミや前振りは、それ単独で存在しない。
落ちとの関係で決まる。
2020年05月09日
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