2020年05月12日

何故仮面が出てくる話は面白いのか

嘘を象徴する小道具だからだ。
あるいは、「本当の自分は、この外見の自分とは異なる」
を象徴する小道具だからだ。


つまり、
画面が出てくる物語は、
嘘もしくは本当の自分が中心のモチーフになる。

小道具は具体的な物体が良い。
嘘や本当の自分は目に見えないが、
小道具は目に見える。

つまり、
小道具とは、演劇や映画において、
「目に見えないものを目に見えるようにする装置」
だと言える。

同様のものは他にもある。
時間や締め切りは目に見えないが、
「進む時計の針」「カレンダー」は目に見える。
愛は目に見えないが、
「花束」「指輪」「誕生日プレゼント」は目に見える。

現実では、
たとえば誕生日プレゼントを、
Amazon3万円クレジットとか、
PayPayで貰った方が合理的だという人もいる。

しかしそれでは、
演劇や映画では目に見えないから、
具体的なリボンのかかった箱で、
目に見えるようにするわけだ。

演劇や映画とは、
目に見えるものしか見えないからである。

サービスは目に見えないから、
ホテルの客室にある折り鶴などで、
目に見えるようにする。

そういうことである。


つまり話を元に戻すと、
仮面が面白いのではない。

嘘をついたり、それを暴いたり、
嘘を隠し通したり、こっそり知ってしまうことが面白いのだ。
今の自分は偽りで、本当の自分は他にある、
ということが面白いのだ。

仮面はその象徴に過ぎない。


なぜ仮面ヒーローが面白いのか、
という問いに対して、
ブレイクシュナイダーは、
「本当の自分が認められていない」と強く感じる人ほど夢中になる、
という鋭い分析をしている。

仮面結婚、仮面浪人、仮面家族など、
実際のマスクを被っていなくても、
仮面はおもしろいのだ。




昨日は一ヶ月以上ぶりの出勤をしたが、
やはりほぼ全員がマスクを被っている電車の中は、
異様な光景だった。
医療用マスクと仮面は、同じかどうか微妙なところだが、
この列車、全員嘘つき。
そういうミステリーも面白いよね。

(欧米人は口元で感情を表現するので、
口元を隠す行為は、
日本人にとってのサングラスくらい感情を隠す不気味な行為なのだそうだ。
欧米人の顔文字、:) とか:(とか:Dとかは、
目が固定で口の変化で示す。
一方日本人の顔文字は目で変化を示すものが多いらしい。
バットマンは口元を必ず出し、
悪役は口元を隠すマスクをしているのは、
ヒーローは意思を示す明快さを、
意思を示さない不気味さを表現してるらしい。
日本ではヒーローは裸眼、
悪役はサングラスだよな)

キャシャーンの、戦闘モードでマスクがシュッとしまるのは、
めちゃめちゃかっこよかったなあ。
これも戦闘という非日常で、「自我を捨てる」象徴なのだ。



嘘と仮面、本当の自分と仮面は、
テーマとモチーフの関係である。
そのテーマをモチーフという小道具を用いて表現するわけだ。

仮面以上に、昔から使われて、
今も飽きない小道具はそんなにないかもしれない。
(同じくらい古いのは、剣や銃、指輪あたりか)

あなたの物語は何をテーマにするのか。
そしてそれは、どういう小道具で象徴されるのか。

嘘と仮面のような、いいペアリングを思いつこうぜ。



昔イーデザイン損保のCMを担当していたことがあるが、
この時「オフィスで使える小道具」がほとんど無いことに気づいた。
パソコンをバリバリ打つか、電話まわりしか小道具がないのだ。

昭和のオフィスならば、
伝票をばりばりめくる、分厚い資料をどさりと机に、
メモを隣の人の書類に書いちゃう、
手帳から挟んだメモがはらりと落ちる、
資料室の膨大なファイルを一つ一つ読む、
タバコの山が灰皿に、缶コーヒーの山、
窓を開けて換気する、出前を取る、屋上や非常階段で考え事、
保険のおばちゃんからもらったグッズにヒントが、
などが使えたものだが、
現在のセキュリティ準拠スマートオフィスでは、
そのようなことが殆どリアリティがなくて、
非常に困ったことがある。

ネクタイを緩める、ノートPCを閉じる、
などでケースクローズドを象徴しようとしたが、
「社内でネクタイを緩めてはならない」
「ノートPCは支給していない」という理由により却下された。
自由になった小道具は、上着のみだったわけ。

「物思いに耽ったときは、ミニカーの車輪を弾いて考える」
という癖も創作したのだが、
「勤務中おもちゃで遊んでいるように見える」
という理由で却下されたなあ。


スマホが発達し過ぎて、
なんでも「画面に向けて喜んだ顔をする」
CMばかりになってしまったね。
21世紀は、小道具の受難だとも言えるし、
小道具による象徴表現は、
演劇や映画という20世紀以前の表現手法、
という見方も出来るだろう。

しかし原始的な表現が強いのはどの時代も同じ。
小道具は触れる、撫でられる、殴れる、壊せる、作り直せる。
つまり、触覚と関係している。

目に見えない抽象を、原始へ転換できるやり方である。

仮面のような小道具は、今でも最強の映像をつくれるのだ。
posted by おおおかとしひこ at 08:12| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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