2020年05月15日

デジタルは人を幸せにしない 代替品

ちょっと面白いものを見つけたので。
韓国のビルのスクリーンに巨大波がいるやつ。
https://twitter.com/Campaign_Otaku/status/1261120389968625669


最初はすげえな、なんて見入っていたが、
これは映像内だからの感想だなあ、と気づく。

実際にこれが渋谷にあることを想像すると、
「実物じゃないんだ」とがっかりするだろうと思った。
つまり、
実際に水槽があって、波が起こっているほうが、
相当いいぞ、と想像した。

で、デジタル技術って、
代替品をつくることに特化しているんじゃないかなあ、
なんて妄想したのだ。

ディストピアものとかで、
偽物の酒(人造酒)と本物の酒が出てきたりするけど、
デジタルって、どこまで行っても、
本物にはなれない、代替品なんじゃないか、
って思う。


映像がかつては本物に見えたのは、
アナログという実体があったからだと、
僕はずっと思っている。
なんかデジタルは、オリジナルの代わりにしか見えないんだよね。

情報量が多すぎるとか、技術的な議論はあるにせよ、
もっと簡単に、
「ああ、本物の代替品として使っているのね」
と「分ってしまっている」ことが、
デジタルの本質なのではないだろうか。

「はいCGCG」ってそういうことだと思う。
「はい人形をみんなで動かしているやつね」ってなっても、
なお本物の力を人は信じるからね。
posted by おおおかとしひこ at 16:14| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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