2020年05月17日

複数でつくるものが詰まらないのは

前記事の続き。

複数でつくるものが詰まらないときは、
このことから説明できるのかも知れない。



民主主義は妥協である。

参加メンバーを全員(なるべく多く)幸せにするには、
尖った鋭い意見よりも、
削られた丸いものがよい。

ピンポイントに刺さり、
ある一部の人が莫大な利益を生むものより、
みんなが満遍なく手に入れられる幸せが良い。

466億かけて、マスク2枚が、
民主主義の幸福である。


つまり、
独裁政治による鋭くて遠くまで届くものに比べると、
民主主義は妥協である。

常に自分以外の誰かに足を引っ張られて、
想定より遠くへ行けなくなる。

弱点を補い合う利点はあるかも知れない。
それはマイナスを0にはするが、
プラスを大きいプラスにはしない。

そして、
誰か一人によって作られたものは、
マイナスがあったとしても、
プラスはマックスになっている。

その尖りが、人の心に刺さる。


それが、物語のテーマであるべきだと僕は思う。

その考察の深さ、
誰にもたどり着けないその遠望深慮こそが、
作家たるべきものの提供する娯楽である。

「そこは誰も考えていなかった」
こそがクリエイティブだ。


だがしかし、
共同脚本やら、
みんなで脚本を叩いて直す行為は、
民主主義と同じになってしまうと、
僕は考える。

ハリウッドの脚本ディヴィジョン方式は、
安定して面白みを作る工場としては機能するが、
何十人がかりでやったからといって、
何十倍面白くなるわけではない。
それらの総意としての丸い面白さにしかならず、
尖って心に刺さって抜けないものにはならない。

創作は独裁だ。
独裁者にはいいイメージがないので、
ならば哲人政治とでも言おうか。

刺さらないテーマはなんの意味もない。

僕はよく「無難ザグレート」などというが、
民主主義のできることは、事故を起こさないことだけだ。
そのかわり、マスク2枚程度の幸福しか与えられない。

広く浅くしたいなら民主主義をせよ。
深く新しさを更新したいなら、哲人になれ。

どちらを目指してもいい。

僕は、製作委員会方式は、民主主義になってしまっていると感じる。
商売か芸術かで言うと、商売丸振りに。
アングラな映画は芸術にもなっていない。
世の中を更新し、かつ商売になるには、
一人の哲人と、それを商売にできるプロモーターが必要だと思う。
posted by おおおかとしひこ at 10:07| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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