予告を見たときに「どうせ主人公は狂ってましたオチ」だろ?
と思って未見であった。
なかなかの巧妙な脚本だった。
ひとつ分かったことは、
「インセプション」はこれをやろうとしたのではないか、
ということ。
トーンも音楽も似てるしね。
以下ネタバレ。
字幕に問題がある。
「ロールプレイ」をきちんと訳していないことだ。
この映画が始まってからクライマックスの灯台までは、
すべて「役割を演じた治療」である。
それが訳に反映されていない。
島の治療方針には、
穏健派とロボトミー派がいて、
ハゲの院長は第三の革新派、ロールプレイによる治療派だ。
つまりこの映画のほぼ全部は、
彼の書いたシナリオなのだ。
すなわち、
この映画には三つのストーリーがある。
精神病患者のアンドリュー。(妻殺し。主治医がいる)
連邦捜査官のテディ。(失踪事件を解決するのが目的。相棒チャック)
そして、院長の仕組んだ、ロールプレイによるシナリオ。
(テディのストーリーを実際に再現させようとするもの。監視役にチャック)
この三番目のものが日本語訳ではわかりにくかったので、
この話は、
「デカプリオは狂っていたのか、それとも騙されたのか」
ということに焦点が行ってしまっているように思える。
三番目の「役割を演ずることによる精神治療」への妙訳があれば、
デカプリオはアンドリューであり、
テディという妄想を持っていて、
すべてがわかったあと、
アンドリューの妻殺しに耐えられず、
テディとして生きること(ロボトミーを受ける)を選んだ、
というストーリーであることは明白だ。
英語ではroleplayと言っているところは複数あり、
そこが訳されていないので、スッキリとしなかったなあ。
(ゲームとしてのロールプレイングゲームは、
もともとこれをゲームとして楽しむのが目的だ。
つまりは芝居ごっこだ。
ところが何故か剣と魔法世界の冒険ゲームに限ってRPGになってしまった。
このへんの言葉の問題から、
「ロールプレイ」という訳語を排除して、
誤解を避けようと苦労したことはわかる。
しかし、「役割を演ずる治療」に「ロールプレイ」とルビでも打てば、
これを見る知性のある人なら理解できるだろうに。
つまり、翻訳者、仲立ちの者が知性がない場合、
このような悲劇が起こる)
なお、
映画「シャッターアイランド」徹底解説サイト
http://shutterisland.eigakaisetsu.com/
にほぼ全部の謎(伏線)の解説があるので、
非常にわかりやすかった。
いや、それにしても、
崖の場面、尻ポケットに入れた、
チャックから手渡された「放火犯の入所証明書」はどうなったんだ。
指輪があったりなかったりする場面もあるらしく、
それは法則性がないらしい。ひっかけ?
こうした、解消していない伏線が微妙に残されていることが、
「信用できない語り手」として、
誰をも見てしまうので、
モヤモヤがずっと残ってしまう。
これを、
狂っている/狂っていないのファクターにせず、
夢/現実に変えたのが、
「インセプション」ちゃうんけ、
と思ってしまった。
妻の死がトラウマになっているデカプリオまで、
全く同じやないかい。
あの映画への不信感は、この映画に通ずるものであったか。
何かを踏まえた上での何かを見るとき、
それを見てないと分からないこともあるよね。
解説者というのは、
そうした参照関係も掘り起こすべきだろう。
(そういえば似たような論争が、
「ブレードランナー」でもあったなあ。
主人公のデッカードはレプリカントか、人間か?
というやつだ。
監督はレプリカント派、製作サイドは人間派だそうな。
このように、「一つの意思のもとに全てが貫かれていない」
例も存在する)
ということで、
この映画は、
三つのストーリーがあるという構造は大変意欲的で面白かったが、
瑕疵が多く、
信用できない語り手オチでしかなくて、
スッキリしない何かしか残らない。
いつまでも解決しないエヴァのような、いやなねっとり感だけが残る。
私たちはこのようなシナリオこそベストと考えるべきか?
僕は、スッキリさせて世界を変えるものを、
真の芸術と呼びたい。
技巧に走った失敗作と、この映画を断罪するとしよう。
2020年05月17日
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