2020年05月17日

ミッシングリンクが埋まった(「シャッターアイランド」評)

予告を見たときに「どうせ主人公は狂ってましたオチ」だろ?
と思って未見であった。

なかなかの巧妙な脚本だった。
ひとつ分かったことは、
「インセプション」はこれをやろうとしたのではないか、
ということ。
トーンも音楽も似てるしね。

以下ネタバレ。


字幕に問題がある。
「ロールプレイ」をきちんと訳していないことだ。


この映画が始まってからクライマックスの灯台までは、
すべて「役割を演じた治療」である。

それが訳に反映されていない。
島の治療方針には、
穏健派とロボトミー派がいて、
ハゲの院長は第三の革新派、ロールプレイによる治療派だ。

つまりこの映画のほぼ全部は、
彼の書いたシナリオなのだ。

すなわち、
この映画には三つのストーリーがある。

精神病患者のアンドリュー。(妻殺し。主治医がいる)
連邦捜査官のテディ。(失踪事件を解決するのが目的。相棒チャック)
そして、院長の仕組んだ、ロールプレイによるシナリオ。
(テディのストーリーを実際に再現させようとするもの。監視役にチャック)

この三番目のものが日本語訳ではわかりにくかったので、
この話は、
「デカプリオは狂っていたのか、それとも騙されたのか」
ということに焦点が行ってしまっているように思える。

三番目の「役割を演ずることによる精神治療」への妙訳があれば、
デカプリオはアンドリューであり、
テディという妄想を持っていて、
すべてがわかったあと、
アンドリューの妻殺しに耐えられず、
テディとして生きること(ロボトミーを受ける)を選んだ、
というストーリーであることは明白だ。


英語ではroleplayと言っているところは複数あり、
そこが訳されていないので、スッキリとしなかったなあ。
(ゲームとしてのロールプレイングゲームは、
もともとこれをゲームとして楽しむのが目的だ。
つまりは芝居ごっこだ。
ところが何故か剣と魔法世界の冒険ゲームに限ってRPGになってしまった。
このへんの言葉の問題から、
「ロールプレイ」という訳語を排除して、
誤解を避けようと苦労したことはわかる。
しかし、「役割を演ずる治療」に「ロールプレイ」とルビでも打てば、
これを見る知性のある人なら理解できるだろうに。
つまり、翻訳者、仲立ちの者が知性がない場合、
このような悲劇が起こる)



なお、
映画「シャッターアイランド」徹底解説サイト
http://shutterisland.eigakaisetsu.com/
にほぼ全部の謎(伏線)の解説があるので、
非常にわかりやすかった。


いや、それにしても、
崖の場面、尻ポケットに入れた、
チャックから手渡された「放火犯の入所証明書」はどうなったんだ。

指輪があったりなかったりする場面もあるらしく、
それは法則性がないらしい。ひっかけ?

こうした、解消していない伏線が微妙に残されていることが、
「信用できない語り手」として、
誰をも見てしまうので、
モヤモヤがずっと残ってしまう。


これを、
狂っている/狂っていないのファクターにせず、
夢/現実に変えたのが、
「インセプション」ちゃうんけ、
と思ってしまった。

妻の死がトラウマになっているデカプリオまで、
全く同じやないかい。

あの映画への不信感は、この映画に通ずるものであったか。


何かを踏まえた上での何かを見るとき、
それを見てないと分からないこともあるよね。

解説者というのは、
そうした参照関係も掘り起こすべきだろう。


(そういえば似たような論争が、
「ブレードランナー」でもあったなあ。
主人公のデッカードはレプリカントか、人間か?
というやつだ。
監督はレプリカント派、製作サイドは人間派だそうな。
このように、「一つの意思のもとに全てが貫かれていない」
例も存在する)



ということで、
この映画は、
三つのストーリーがあるという構造は大変意欲的で面白かったが、
瑕疵が多く、
信用できない語り手オチでしかなくて、
スッキリしない何かしか残らない。
いつまでも解決しないエヴァのような、いやなねっとり感だけが残る。


私たちはこのようなシナリオこそベストと考えるべきか?

僕は、スッキリさせて世界を変えるものを、
真の芸術と呼びたい。

技巧に走った失敗作と、この映画を断罪するとしよう。
posted by おおおかとしひこ at 13:40| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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