2020年05月19日

洋画の「妻を失った男」率は異常

なんでか考えてみよう。


・「本当はかっこいい」を担保できる
・悲劇のヒーローになれる
・作者自身の投影
・役者の都合
・どんでん返しを仕込める

などかな。


・「本当はかっこいい」を担保できる

主人公が、キモくない、ダメじゃない、
を「かつては結婚していた」で担保できる。
一度はモテて結婚までしたということは、
変で異常ではない証拠のようなもの。

そして離婚ではなく「(事故などで)失った」とすることで、
「今はかっこよくないかもしれないが、
本当はかっこいいんだ」を楽に作れるわけだ。

これは「かっこよさ」を描くことから逃げている。
本来ならば、
今ある状況下においての行動で、カッコよさを示さなければならない。
しかしそれを書く実力がないから、
「本当はかっこいいんだ」と設定で逃げを打てるのだ。
もし本当にかっこいいなら、
「妻を落とした時」を描けるか、という話だ。
それを書く実力がないから、
回想に現れる妻は、常に微笑み、愛してると言ってくれる。

つまり、実力隠しの隠れ蓑として使いやすい。


・悲劇のヒーローになれる

影のあるヒーローはそれだけでカッコいい。
しびれる。
「かつて犯罪を犯した危険な男だが、改心した」
「複雑な過去がある」
などのような複雑な設定は、
感情移入も含めて面白い話にすることが難しい。

しかし「妻を理不尽に失った」ことは、
安易でしかも突っ込みづらい悲劇だ。
つまり、悲劇のヒーローの、激アンパイなわけだ。

悲劇のヒーローかつ本当はカッコいいを、
理由なく描ける手抜き設定が、
「妻を失った男」である。


・作者自身の投影

女に振られたとき、歌ができるという。
大切な人を失ったとき、文学ができるという。

そんな作者の思いが、滲み出ている可能性はある。
なぜか作者が描きやすいから、そういう設定になっていることもある。
それは、作者がこないだ振られたからかもしれない。
(そして振られた理由は考察せず、
「妻を理不尽に失った男」として美化するのだ)


・役者の都合

「こんなにイケメンなのに女がほっとく訳がない!」
を回避できる。

興行上の理由で主人公はイケメンのほうが望ましいが、
イケメンであると困る職業もある。
そんな職業でイケメンだったら、ネットやマスコミがほっとかない、
を回避できるわけだ。
「イケメンなのに積極的に女を口説かないし、誘いも断る」
いい言い訳になるのだ。

また、
「ほんとうは凄い」を示すためには、
ある程度の専門技能を持っている必要があり、
それは若造では無理だから、
ある程度年齢や経験を経ている必要がある。

しかしそんな熟練者でなぜ女がいないのか、
を自然に回避するには
「かつて結婚していたが、妻を失ったことで心を閉ざした」
は、最強のカードのひとつだろう。

「実はゲイ」よりも話を作りやすくさせる。


・どんでん返しを仕込める

主人公の回想の中でしか、妻は出てこない。
ということは、
「それは主人公の思い込んだ偽の記憶だった」
が容易に仕込めるわけだ。
叙述トリックだね。
あるいは、
「主人公が語っていた、死んだ妻の話は全部嘘だった」
もすぐに作れる。
これを利用したどんでん返しが作りやすい。



つまり。

「妻を失った男」は、
脚本家の怠慢なのだね。
それなしでも話を面白くできる実力がないから、
安易に手を出すのだ。
(そしてそれを見抜く人がなかなかいなかったから)

もう見抜いたぞ。
posted by おおおかとしひこ at 14:16| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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