2020年05月21日

何かを経ると、人は変わる

それを上手く描き出すのが、物語である。


学生のときはあんなに元気で快活だった人が、
社会人になって目が死んだ。

部長になってから、あの人変になっちゃった。

あの会社、合併してからダメだわ。

こういうようなことは、世の中にごろごろ転がってると思う。

なんかあの一件以来、見違えるように変わったね。

転職してからずいぶん元気を取り戻したようだけど。

別れて正解だったよ。

こんなことも、世の中にごろごろ転がっている。


物語は、そのうち、
良い方の変化を描くものだと思う。

良くないほうの変化の方が、
世の中には沢山あるからで、
それにはみんながっかりしているからだ。

わざわざお金を払って、
ダメになりました、を見る価値などあるだろうか?
反省点を列挙するためのドキュメンタリーには意味があるが、
架空の失敗を反省しに金を払うのだろうか?

こんな経験をこんな風にすると、
こんなにいい変化があるのか。
これはいいぞ。
そういう、価値のある変化に金を払うのではないか。


すぐに思いつく通り、
それはある種の宗教ではないかということだ。

その通りで、
形式上、宗教の物語と、僕らが書こうとしている物語は、
区別できない。

両者の違いは、フルツッコミに耐えられるかどうかで、
決まるような気がする。

神がいる前提での宗教は、
ビッグバン仮説によってフルツッコミされている。
アダムとイブから生まれたキリスト教は、
進化論によってフルツッコミされている。
(キリスト教が支配的なアメリカでは、
進化論を信じない人が半数前後いるらしい。
未開人とはこのことだ)

あなたが教祖になり、信者を増やせ、金は信者で回る、
と言っているわけではない。

フルツッコミに耐えうる、
いい変化を描きなさい、
という最も難しいことを言おうとしている。


作者は客観的になることが難しい。
だから僕は三ヶ月寝かせろなんて良くいう。
自分でフルツッコミするためである。

これのあれおかしいだろ、なんでこうなるの、
これに気付いてないのは変、
なんでこいつ知ってたんだよ、
などなど、映画のおかしな不備には、
普段フルツッコミするだろう。
それを自分の作品にするためには、
三ヶ月くらい忘れないとできない。
我が子が可愛すぎて、言い訳大会になる。

それを冷静にフルツッコミができるのは、三ヶ月忘れたときだ。


なぜ変化したのか。
なぜ変化しようとしなかったのか。
なぜ変化しようとしなかったのに、変化したのか。
その変化した貴重な瞬間はこちら。

そこに最大の感動があるように。
そしてそのリアリティ。
ほんとうにあるかも知れないなあ、自分の周りにはないかも知れないが、
という絶妙な距離感。
そしてそれが人生の一断面を切り取る、真実であること。

これらが揃ってなければ、
物語の資格などない。


あなたの主人公や登場人物は、
何を経て、その後「だいぶ変わったね」と言われるような人になるのだろう?
その「経る」を最大限に面白く描くのが、
物語だ。
posted by おおおかとしひこ at 00:16| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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